司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>



 

 司法は、またしても「断罪」された。戦後、5件目となるわが国での確定死刑囚の再審無罪となった袴田事件。その判決は、捜査機関による証拠捏造を認定した。無実の人を意図的に犯人に仕立て上げる捜査機関、誤った死刑判決を延々と修正できなかった裁判所。事件発生から58年間、「権力犯罪」ともいえる行為に基づく証拠で出された死刑判決を修正して、無実の人を「無罪」とはできず、肝心の犯人の罪を追及できないままで終わってしまう。これが、この事件で明らかにされることになった、この国の司法の異常な現実である。

 判決が捏造を認定した三つの証拠のうち、焦点であった5点の衣類について、判決は衣類の入手、従業員に気付かれない形でタンクに隠す行為、そして結婚を付着させる加工を、捜査機関以外にはできない行為とした。一部の捜査員の違法な行為ではなく、多数の捜査員が関与した組織的な捏造行為としか考えられない現実が浮き彫りになっている。

 捜査機関が有罪立証に盲目的に邁進するあまり陥った過ちのようにとらえるとすれば、それは極めて不十分なものといわなければならない。正義を掲げながら、証拠がないものまで有罪に仕立て上げ、その結果、その人物は罪に問われ、死刑が課され、真犯人は取り逃がす。万が一にも、そんなことがあってはならない、という気持ちを上回り、証拠を捏造してでも犯人に仕立ててしまう――。

 その心理、思考をどう解釈すればいいのだろうか。少なくとも、そうした心理、思考の持ち主は、最も捜査に従事するのにふさわしくない、危険な人物という評価にもなり得るはずだ。想像が及びきれないような隔絶感を覚えるが、それが一体、何から生まれたのか。あるいは組織の中の成果主義をはじめ、捜査員の焦りや手抜きを誘発する体質的な何かにまで、踏み込む必要はある。

 しかし、それが極めて手の込んだ組織的な行為があったとすれば、冤罪の可能性のある人間を、死刑にすることを承知で、いわばそれを既に許されるものとして組織が目的化していた、さらに強権的な権力機関の現実まで浮かんでしまう。組織的に、それはあらかじめ当然のように是認され、定着していたものとして。

 再審に至る経緯では、度々検察の姿勢に「メンツ」という言葉も被せられた。捜査機関による意図的な証拠捏造が取り沙汰されるほど、彼らはそれを認めるわけにはいかず、事件の真実や、死刑を言い渡されている者の罪を問えるかどうかよりも、有罪立証を断念させ難くした、という見方もできる。しかし、それも彼らの本来の目的からすれば、甚だ転倒した考えといわなければならない。

 今回の件で大新聞にコメントを寄せている元検事の発言の中には、依然「捏造と指摘された以上、上級審の判断を仰ぐべきではないか」と、検察側控訴の可能性に言及するものも見られる(朝日新聞9月27日付朝刊)。前記した検察の発想が、いかに強固で当然視されているものかを逆にうかがわせる(「『袴田事件』再審有罪立証方針と検察の『メンツ』」)。

 「修正できなかった」裁判所の責任にも、この事態への恐れを上回る、捜査当局への過信や、慎重さに置き換えた判決是正への躊躇はなかっただろうか。この事態のうえで、度々無実の主張が裁判所によって退けられた事態を、果たしてすべて捜査側の責任にできるのだろうか(「『袴田事件』再審決定と『修正できない』司法」)。

 この事件では、一審の担当裁判官が、後年、当時の無罪心証を明らかにするという事態もあった。裁判所は、これを5件目の死刑再審無罪として、改めて深刻に受け止める必要がある。同時にこれが現状の捜査機関、裁判所が、構造的に生み出し得る事態であることをうかがわせているのであるならば、これから進められる再審法改正で検察官の抗告禁止や証拠開示の制度化を、早急に進めるべきだろう。

 前記朝日新聞紙上には「58年間の闘い」と題された袴田氏とこれまでの事件の経緯をまとめた年譜が掲載されている。改めてこれを見ると、いわゆる「平成の司法改革」の「バイブル」とされた司法制度改革審議会意見書が出された2001年当時、静岡地裁での第一次再審請求審が棄却(1994年)され、東京高裁での即時抗告(2004年棄却)が争われている時であった。

 その同意見書は、「21世紀の我が国社会において司法に期待される役割」を銘打ちながら、既にこの国で出されていた死刑再審無罪4事件への反省と対策はどこにも見当たらない。本来、この国の司法の問題として、真っ先にその反省入ってしかるべきともいえる意見書に、それが見当たらず、「刑事裁判の充実・迅速化」が提案されたのをどう理解すればいいのだろうか。今回の事態を前に、この現実を真っ先に直視しない司法の「改革」というものを、多くの国民が理解するとは思えない。

 一つの見方として、この問題に触れたならば、その問題と大きさと、関係者の弁明を伴った「抵抗」で、司法制度改革の提案そのものが早急にまとめられなくなる、という関係者の判断があったのではないか、とも言われる。司法が「断罪」された今、我が国の司法は何を見落とし、何を見て見ぬふりをしてきたのか、根本から考え直すべきだろう。



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