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 第4回 200万多重債務者を救済したのは誰か

 2011年7月、前世紀末の大消費者市場、大量生産、大量宣伝、大量消費の一翼を担い支えていた消費者金融も、今や息絶え絶えの状態となっている。

 それならば、健全な消費者金融というものが復活するのかといえば疑問だ。無担保の生産力の無い消費者への貸し出しをビジネスとして成り立たせようということに、そもそも無理があったのではあるまいか。

 金利とはお金の対価であるが、その対価、金利がいくら高くても、必要度の高い消費者ほど当座の需要のために高い金利の金を借りてしまうという逆選択を不可避とするこの市場には、法律による規制は、方法はいくつもあるだろうが必要であることは間違いない。

 1970年代から2000年代に至る30年間は、破産法や利息制限法という規正法があったにも関わらず消費者金融業は大成長した。この成長に平行して多重債務者が増大し、借金苦での自殺者が社会問題となった。

 その原因は明らかである。それは破産法や利息制限法、貸金業法という規正法による消費者金融市場への制御が、全く出来なかったからだ。原因である規正法の無力化を支えていたのが、実は少数の弁護士による法律事務独占だったのである。

 2003年の認定司法書士制度の導入と、弁護士増員によって、戦後長きに渡って続いてきた少数弁護士の法律事務独占の壁が破られた。それにより大量の新人弁護士と認定司法書士が、価格競争、広告自由化のもとで、債務整理ビジネスに参入してきた。

 収益性が高く効率の良い債務整理ビジネスは、増員弁護士や認定司法書士に格好の大市場を与えることになり、過払い金返還請求ビジネスが急速に全国に広がって、その結果、消費者金融業者は巨額な過払い金返還債務を負うことになった。

 改正貸金業法の施行をまたずに消費者金融市場は縮小し始め、ついには業界最大手の武富士が破綻するに至る。弁護士、司法書士による大量の広告宣伝で、債務整理と過払い金返還に関する情報は、国民の間に一挙に広がり、その結果、200万人と言われた多重債務者は2011年夏の今日、劇的に減少し、早くも、債務整理専業と化した弁護士、司法書士の多くは市場からの撤退を準備し始めている。

 広告自由化と価格競争導入、参入規制緩和で、法律ビジネスが商売となった。法律ビジネスの商売化は、庶民に最も身近な法律問題、借金整理の分野で劇的に爆発的に起こった。

 その結果、消費者相手の高利貸しは倒産し、闇金は逃亡し、200万の多重債務者達が救われた。しかしこのことに眉をしかめる人は多い。眉をしかめるのは、独占的経済的地位を脅かされている弁護士や司法書士の保守層ばかりではない。法律家としての理想を生きたいと考える弁護士や司法書士達も、最近の弁護士TVCMを見ては、少し行き過ぎではないかと思ったりしている。

 しかし、わずか10年の間に消費者金融市場を瀕死状態にすることは、多数の弁護士、司法書士が、高い収益を得るために多重債務者「救済」のビジネスに参入しなければ不可能であったことも事実である。

 1970~1990年代、消費者金融の成長とともに全国に組織拡大した現日弁連会長宇都宮氏率いる「クレジットサラ金被害者の会」だけでは、消費者金融市場を瀕死状態にすることなどとても出来なかったであろう。

 2000年になってから今日まで、全国の多数の弁護士、司法書士がクレサラ市場に参入し、競争が激化したため、反資本主義系「クレジットサラ金被害者の会」は逆に縮小してしまった。

 200万の多重債務者達を救済したのは誰なのか、どのような力だったのか。私は、今、皮肉な気持ちで消費者金融崩壊の顛末と、これからの庶民の金融事情についてを考えている。

 庶民の生活にとっても金融は必要だ。焼け跡時代に活躍した庶民金融、質屋の時代はモノ余りの時代には復活しない。消費者金融はクレジットカード社会として生き残って行くのだ。



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