去年の3月11日午後2時半頃、私は東京上板橋のリハビリ病院で患者の転院について打ち合わせをしていた。その時に東北大震災が勃発し、首都圏の交通も通信インフラも完全に機能を停止し、その晩は、帰宅難民となって赤羽の小学校に泊まるはめとなった。
それから1年、面白くない1年だった。その1年間続き、これからも続くであろう気分を一言で言えば、それは憂鬱とも違うし、不安とも違う気分で、とにかく私にとっては、今は、クソ面白くない日々が続いているという他は無い。
2011年3月11日の地震、津波、原発事故災害は、1945年の終戦から続いてきた復興と成長の時代を完全に終焉させ、その結果、この国は今、精神の真空状態に置かれているように思える。これからこの国がどこに向かって行くのか私には全く分らない。
チェルノブイリ原発事故が起こったのは1986年4月26日のことだった。史上最悪の原発事故と言われて来たが、東京電力福島の原発事故は規模においてチェルノブイリ原発事故と変わらない。事故の結果生じた放射能汚染とその被害の規模、程度の実態はいまだに不明のままで「面白くない」状態が続いている。
東日本大震災と福島原発事故は、日本人の自己統治能力をダイレクトに問うものとなった。戦後蓄積されてきたあらゆる経験の意味が今問い直されている。社会を束ねる権威らしきものも、その根底から意味と価値とが問われつつあるようだ。
ゴルバチョフが50歳の若さでソ連共産党の書記長になったのが、チェルノブイリ原発事故の1年前、1985年のことだった。ソ連崩壊をもたらしたグラスノスチ(情報公開)政策は、チェルノブイリ原発事故への反省として始まった。原発事故から始まったゴルバチョフのグラスノスチとペレストロイカ(改革)は、わずかその10年後には、ソビエト社会主義共和国連邦という巨大国家を解体してしまうのである。それは70年をかけ、ユートピアとその実現のために、その実現の正義を理由に、国民の現在の欲望を抑圧しながら、その正義という観念の実行省、人民の抑圧機関として成長してきた巨大官僚機構の自己崩壊でもあったのだ。
前世紀初頭に立ち返ってみれば、カンボジア共産主義者による自国民の大虐殺も決して珍しいことではなかった。それ以上の規模の粛清という名の虐殺と大飢饉が、スターリン時代にも、毛沢東時代にもあったのであり、現在では同様のことが北朝鮮で進行中なのである。
正義が暴力を手段とした時、惨劇が起こる。知能の高い貧困知識階層のユートピア願望が、正義という衣装を手に入れて、権力という暴力を独占したとき、20世紀社会主義、共産主義の悲劇が始まり、そして世紀末に自己破産した。
正義という概念に公平と平等、自由という原理が含まれているとするなら、平等と自由とはそれだけでは両立しにくい原理である。これを調和させているのが公平という原理なのだろう。平等と公平は、人間の理性によりも感情にアッピールする。自由と公平は理性の働きに大きく依存する。20世紀は、自由と平等をめぐる戦争の時代であった。そして自由が勝利して21世紀を迎えたわけである。
生産と分配、富の獲得と配分、日本は、巨大な特権的公務員集団が取り仕切る分配、配分を社会の基本に置く洗練された社会主義国家であった。その最後の社会主義国家の原子力発電所がついに爆発し、加えて1000年に1度の大津波が東北沿岸を襲った。
戦後この国を支配してきた精神は、平等願望と反面としての嫉妬心であった。自由、独立心、自己責任、自尊感情、発明発見、自己主張、冒険、進歩、寛容、これらの精神は何時の日からか忘れられていたのである。