司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

3 人生の見え方が変わる

 東北津波大震災は、福島原発を破壊し周辺地域をチェルノブイリ化した。翌朝早々、私は避難先の体育館をあとにして、午後自宅に着いた。昼寝をし、西日の強い日差しで目が覚めた。

 140億年前の宇宙のビッグバンのことが思い浮かんだ。そして46億年前に地球が誕生し、40億年前に生物が生まれ、6500万年前に恐竜が絶滅し、40万年前にホモサピエンスがアフリカの地溝帯に出現し、5万年前に氷河期を越えて世界に広がった。

 1万年前、紀元前9000年にシュメール文明が誕生、名誉革命の権利章典が1689年、同時代にニュートンが古典物理学の世界を確立する。500年前の日本は戦国時代、200年前の世界の人口は10億人、大航海時代、啓蒙主義時代、産業革命、フランス革命、戦争と革命の時代を経て、第一次世界大戦後の世界人口は20億人、第二次大戦後の1960年には世界人口30億人、そして2010年の世界人口は69億人となった。

 残酷な表現かも知れないが、身近な一人の人間が生きながらの死を迎えた。死を待つ日々は短くない。長いのだ。その死のときを自ら選択することは出来ない。

 一郎は、車椅子に乗りながら、何を見ているのか、遠いところをじいっと同じ姿勢でいつまでも見つめている。こうして、これからの10年もまたたく間に過ぎて行くのであろう。

 私も自分の死を考えた。子供の頃は死を考えると恐怖で眠れなかった。永遠に続き広がる虚無の世界が怖かった。しかし今は少しも怖くない。人生に飽きたのか疲れたのか、終わってもいいと思うこともしばしばある。日本人に生まれて哀しくてという気持ちに包まれることもある。

 生物学的な人間の寿命は120歳前後であるらしい。疾病や事故や戦争で死んだりするから、戦前は先進国でも平均寿命は50歳だったらしい。40万年前に現生人類が設計されたときにも、再生産の器である人間を構成する諸機関(臓器)や細胞の構造について、寿命50歳が想定されていたのではなかろうか。

 第二次大戦敗戦までの時代、徳川200年を含めて、人生50年の時代に産出された人生論、小説、芝居・・文芸物の説得力や教訓が、人生90年時代にそのまま通用するものであるのどうか考え直させられる。

 高齢化社会、65歳以上の数千万人の高齢者を、働ける人々、労働人口が責任をもってささえて行かねばならないのだ。かっては、働けなくなった年寄りは、家族の私的問題として、長男や嫁、親族が面倒を見、最後の死を看取ることになっていた。刈入で田んぼに出かけた長男夫婦をあとに、縁側沿いの部屋に骨折を機に寝込んだ爺ちゃんはお迎えが近いのを知っていた。庭のひまわりを見ながら、一月もすれば爺ちゃんは死んでいたのだ。

 これが60年前の日本高齢者の普通の死の姿だった。さらに自然の老化衰弱よりも、もっと早い段階で、もっと多くの人が疾病や感染症で死んでいた。それが普通だったのである。

 私もそうだったが、「年をとるということ」、加齢による生物学的、社会的環境変化について、あまり真剣に考えて来なかったように思う。潜在意識的には、その問題と直面することを回避していたのかも知れない。

 この問題を私は今直視しつつある。私を含む日本の高齢者たちの暮らしは、今も明日も、不安でいっぱいだ。高齢者ばかりではなく、日本の勤労市民たちも、先進国に比べればはるかに不幸せな人生を送っている。

 しかし、それは政治の役割や参加を軽んじて来た戦後日本人の自業自得であったことも忘れてはならない。原発事故はそのような戦後日本人の傲慢と愚かさによってもたらされた人災なのである。なでしこジャパンにフィーバーするマスメデイアとどっちらける被災者と、この国の国民に今大きな亀裂が出来始めていることを私は感じる。



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