第5回 この国の余命10年?
週刊ダイヤモンド2011年7月9日号の綴じ込み付録に、加藤嘉一氏(27歳)の「われ日本海の橋とならん」という記事があった。その序文で彼は次のように言っている。
「僕はかねがね、日本社会の変化を求めてきた。・・・そしてぼんやり、2030年という数字をひとつのメルクマールとして考えるようになった。どんなに遅くとも、団塊の世代が80歳を超え、団塊ジュニアが60代に差し掛かろうとするこのときまでに大きな変化が起きない限り、この国は持ちこたえられない。すなわち、日本の余命は20年なのだと」
なるほど20年後か。そのとき私は87歳となる。週末、作家の大下英治さん主催のクラブに久しぶりに参加するが、彼も私と同じ年だから20年後には87歳だ。私の血糖値は、クレアチンアナログ製剤のおかげで最近はヘモグロビンA1Cが、5,7台となり、血圧も120台に維持している。
とすれば、20年後も私は生きているかもしれない。しかし、そのときまでに「大きな変化が起きない限り・・・日本の余命は20年」で尽きることになるのだとすれば、私の余命も日本国とともに尽きることになる。
加藤嘉一氏(27歳)は言う。
「しかし、今回の震災を受けて時計の針は10年進んだ。日本人は覚悟しなければいけない。・・・日本は確かに余命10年の国となったのだ。政治も、経済も、エネルギー政策も、そして人々のマインドセットも、抜本的な変化が求められている」
余命10年。確かにそうかもしれない。7月13日の今日、200年前はフランス革命の前夜の日、東京の円相場は80円を切る高値となった。この円高も、欧米通貨安との相対関係の結果で、日本経済の実力とは全く無関係なものだ。欧米が安定するまでこの円高は続き、これにより日本の輸出産業は打撃を受けるし、産業の空洞化が進み・・・という風に進んでいって国債を国内調達が出来なくなり、突然円安にふれ、輸入インフレから、破滅が・・・という悪魔のシナリオの始まりの合図かもしれない。
このシナリオが5年内に起これば、日本の余命は10年ということになる。
27歳の加藤クンは言うよ。
「僕たち日本人は、この危機をチャンスに変えることができるのか。それとも、ロスト・チャンスとなってしまうのか。ラスト・オア・ロスト。10年進んだ時計の針は、そこまで迫っているのだ。これは政治家や官僚だけに課せられた課題ではない。総ての日本人、とくに今後の日本を担っていく10代や20代、そして30代に突きつけられた課題なのだ」と。
日本は周回遅れで欧米のあとを行っている。産業の空洞化も、若年層失業の深刻化も、格差社会の定着もどんどん進み広がっている。逆に社会の高齢化と少子化は、欧米よりもはるかにはるかに先を走っている。
そこに地震津波原発事故がやってきたのだ。このまま行けば、日本社会は「3丁目の夕日」の時代、あるいは「キュウポラのある街」の時代に戻っていくのかもしれない。
しかし、考えてみればそれが悪いことなのか。助け合い、励ましあい、家族や、友を必要とする時代が来るかもしれない。強欲と金欲、偽善を捨てた公共と社会正義を尊重する時代が来るかもしれない。
焼け跡戦後と団塊世代のトラウマを総清算出来れば。