「以上の通り、司法書士による不祥事は相当数に及び、懲戒事例が掲載されない月報司法書士を見たことがない」と細田氏は言うが、懲戒事例が月報司法書士等で公開され始めたのは最近のことであり、月報司法書士を通して毎月のように、会員は懲戒事例を、注意勧告を含め見ることが出来る。公開の建前上で、懲戒事例が掲載されていないことなどあればかえっておかしなことである。
懲戒事例が掲載されていること、それ自体よりも重要なのは、公開の目的、公開の基準、公開された事案についての公開された被懲戒者の人格の尊厳の取り扱い、当該事件への適用条文の明示、その構成要件と該当事実の証明、違法性の具体的指摘、被懲戒者の反論の機会の提供、裁判官に代わる第三者の前での弁論、反論権の保証、担当綱紀委員の説明及び立証義務、裁判官に代わる第三者による客観的判断決定、その不服に対しては直ちに公開の裁判手続きに移行できるような憲法上の権利の保障手続などが、つまりデユープロセスが、どのように強制入会制度を採用する司法書士会において、遵守されているのか、そちらの方が大いに気になる。
不祥事が実際上増えているのか増えていないのか、その実態を知るためには、事件の種類ごとに、その経年変化を調査すれば良いと思うし公開すべきであるが、確かに、細田氏のいう昭和50年代の原点登記時代に比せば、全く別の世界、簡裁事件や成年後見事務といった法解釈の求められる業域が司法書士制度に加わった以上、その新分野に関しての紛争、不祥事が、従来の通達、文言解釈、添付書面チェックの登記時代に比べれば、その権限増加分だけ増えたであろうとは予想できなくもない。
「特に目につくのが、成年後見業務に関わる多額の横領事件である」(細田司法書士制度審議会委員)。でたあーっ、という感じである。細田氏の巻頭文が掲載されている月報司法書士2015年3月号の「懲戒処分事例の公表」欄では、貧乏な司法書士が友達からの借金を踏み倒して品位保持義務違反に問われた事件が公表されている。あまりいい感じはしないが、成年後見業務における預り金の横領事件の背景には、登記業務も減り、債務整理事件も減って行く最近の司法書士を取り巻く経済状況がある。
細田氏は「司法書士資格がマネーライセンスとなり」「自己(会員)の利益追求が第1義にあり、市民に対する援助をないがしろにした結果であろう」と、その原因について述べるが、そのように簡単なものではあるまい。マネーライセンスどころか、今や司法書士受験生も減り始め、万能の法律資格である弁護士増員の反射を受けて、司法書士資格の魅力も確実に薄れ始めている。弁護士司法書士等法律系資格への競争政策導入の結果、新人司法書士の開業失敗、既存司法書士のIT化不適応、競争脱落、司法書士間の格差増大等、司法書士の貧困化が、横領背任等経済犯増加の背景となっているのではないか。
多分この事は細田氏も承知のことだろう。何故なら細田氏の主張には、競争抑圧独占業務再分配という願いがこめられている。月報司法書士4月号の巻頭言で河上東大教授が指摘した「確実に予測される・・・、超高齢化社会の進展とITを含むさらなる技術革新」の進むこれからの消費者社会、その社会を、そのような発想で、司法書士が生き延びられるとは到底思われない。国民ナンバー制導入がエストニアのような電子政府を作り上げるとしたら現行登記制度そのものが根底から変わってしまうことも大いにありうるのだ。
「成年後見業務に関わる多額の横領事件」等不祥事の結果、「司法書士制度全体が、家庭裁判所や市町村は勿論のこと市民からの期待を裏切ったと思われても、仕方が無い。一人の行為が全体に影響を及ぼすのである。現に、リーガルの公益認定の取り消しが議論されている」と、細田氏は言うが、まず「一人の行為が全体に影響を及ぼす」ような個人の尊厳と自立を軽視する、そのような団体は、そもそも公序良俗に反する。
細田氏にとっては「えっ、一体、何んでそれが憲法に違反するの?」ということになろうが、個人の尊厳と自由を中核とした基本的人権、表現の自由、結社の自由、職業選択の自由等は、憲法秩序における国民の基本権であって、司法書士はもちろん公務員も当然にそれを何よりも尊重しなくてはならない。司法書士の場合、公共政策上の要請で、強制入会制度が例外的に、学者によってはこれを違憲と判断する人も多いが、認められてはいる。しかし、「一人の行為が全体に影響を及ぼす」ような司法書士集団への連帯責任義務などは国民である会員には全く課せられていないのである(行政の一体化を求められる公務員ですら公務員相互間に連帯責任義務などなく「一人の行為が全体に影響を及ぼす」ようなことはない)。
そもそも司法書士は、司法書士法第1条が規定する「・・登記、供託及び訴訟等に関する手続きの適正かつ円滑な実施に資し、もって国民の権利の保護に寄与する」制度のもとで、その担い手として第3条に厳格に列挙規定された業務を行うこととなっている。
弁護士法は第1条に、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とあり、一方、司法書士の場合には「登記、供託及び訴訟等に関する手続きの適正かつ円滑な実施に資し、もって国民の権利の保護に寄与する」とある。そして司法書士は、限定された3条業務をもって「国民の権利の保護に寄与する」ということになっている。「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」ということであり、権限は広く、司法書士の業務と比せば、その目的にも内容にもかなりの違いがある。
司法書士の使命、職責を「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」とするためには、現行の司法書士資格試験制度の内容、合格基準を根本的に改正しなければならないだろう。団体帰属の「一人の行為が全体に影響を及ぼす」というような司法書士幹部の全体主義的発言が、平気で巻頭言に掲載されるような司法書士の希薄な人権感覚のよって来たる所は、登記技術知識取得を中心に置いたこれまでの資格試験制度に問題があるのだと私は思う。
懲戒案件の増加、その種類の多様さ、選挙で選ばれた綱紀委員の法解釈適用能力の欠如等々の原因は、実は平成14年(2002年)の司法書士法改正にあったのではないか。
では、細田氏のいう司法書士の戻るべき原点とは一体何だろう。それは登記司法書士、代書の白看板時代にもどることなのか?