8月、2ヶ月前のことになるが、10日ほどモンゴルに行ってきた。研修などではなく、ただ大草原を一日馬に乗ってまわり、丘を越え谷を渡り、夜はゲル(パオ)前の、茣蓙に横になって星空を眺めるというような旅だった。
人口273万人、首都ウランバートルには111万人が住んでいる。面積は156万㎡で日本の5倍、人口密度は1キロ㎡あたり1.7人という国である。都市に人口が集中しつつあると言っても人口の半数以上は、遊牧民であり、家畜の飼料を求めて草原を移動しながら生活をしている。大草原の四囲を見渡せば、遠く緩やかな丘と地平線、そこに遊牧民のゲルが2~3個見えるだけである。ゲルに住む遊牧民の暮らしも見学して、馬乳やチーズをご馳走してもらった。遊牧民家族は、住まい用と倉庫用にゲルを二棟用い、馬20頭、羊60頭くらいを所有し放牧している。
モンゴルは寒い国である。首都ウランバートルが稚内市と同緯度にあり、海抜1351mの高地にある。那須や軽井沢の別荘地が海抜700m位だから、都市ウランバートルは、那須岳の頂上付近や八ヶ岳と同じくらいの高地に広がっているということだ。7~8月が夏で昼間の日差しは厳しく30度を超すこともある。しかし、草原を渡る風は涼しく暑さはそれほど気にならない。もっとも朝方は冷え込むからストーブが必要となる。
冬はすぐにやってくる。秋になれば避寒のために家族と家畜の移動の準備にかかり、ゲルを解体し、家財といっしょに車に積みこみ、家畜とともに避寒地のキャンプ地に移動する。今ではゲルには太陽発電機もあるしテレビもある。車(ランドクルーザー)もある。しかし、家畜とともに移動する生活の内容は変わらない。このユーラシアを駆け巡る遊牧民の暮らしは2000年来変わっていないのだ。
中国の漢籍に出てくる、匈奴とか突厥とかとモンゴル人が同じ民族であったのかそれは分らないが、モンゴルの草原に立ち、遠い丘のさらにその先の世界に思いをめぐらせれば、定住民の作った都市文化は、彼らにとって夢のような世界であったのかも知れない。
モンゴル人口の半数以上の人々が、今も遊牧の暮らしの中で、結婚し子供を生み育て死んで行く。草原と馬と羊たちと星に看取られながら遊牧の暮らしは、草原と馬と羊がいる限りいつまでも繰り返されて行くのだろう。
ユーラシア大陸の東の端、東南海の孤島、尖閣列島では野田総理の日本国領有宣言事件で、日中関係が突然悪化し始めた。目下進行中のこの事件は、人間の歴史、国家、領土、欧米近代300年の文化、世界平和等々について、改めて、日本人に熟考を求めているかのように見える。
失われた日本20年が、今や、衰退社会20年に向かい始めたと言う人も現れた。今、尖閣列島、竹島問題により惹き起こされつつある東アジアの一連の領土紛争事件は、日本衰退社会20年の始まりの合図なのではないか。
明治維新以来、日本人の頭には欧米近代300年の文化が、手放しで良きものとして刷り込まれており、それを疑う日本人は思想の左右を問わず少ない。明治維新、官僚による中央集権、富国強兵、この国の構造は欧米近代300年の文化を下敷きにしたもので、それにより形成された文化社会の構造は今も変わらない。
第2次大戦敗北後、日本はどこの国とも戦争をして来なかった。しかし、世界は戦後もどこかで戦争をやっていたし、内戦を含めれば今も戦争をやっている。わが国にも戦争好きでタンクのミニチュアを飾り、ほれ込んでいる狂人もいる。いろいろ考えると、日本は実に古来から四つの島と海という自然国境に守られて来た。それ以外の国では国境を巡る戦争など日常茶飯事、常識という世界だ。イギリスのフォークランド島を巡るアルゼンチンとの電撃戦は懐かしい。
それにしても、中国の20世紀は戦争漬けの20世紀だった。欧米人の植民地主義者による侵略に始まり、日清戦争、日中戦争、朝鮮戦争、カンボジア戦争、・・・。清朝の解体に始まって、巨大中国はばらばらに分裂し、そこに欧米人や日本人が侵略してくる。その巨大な国家を毛沢東が再び統一し、ついにアメリカに次ぐ軍事帝国となるまでとなった。
現在の中国人は、おそらく日本人のように欧米近代文化を崇拝はしていないだろう。中国2000年の歴史から見れば欧米300年の文化も一時のものでしかないと普通に考えているのではないか。他の文明や、人々の暮らしや価値感情は四つの島に暮らす日本人には分るはずもない。たまには、この国と切れて全く違う世界に浸かってみるのも悪くない。
考えてみると正義という名の自己愛の神様的存在が、実は毛沢東先生であったよ。来年の夏もモンゴルに馬に乗りに行くつもりだ。モンゴルの草原はどこまでも広く、空はどこまでも青かった。