司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>




 〈「立憲主義」〉

 「法の支配」と関連する言葉に「立憲主義」という言葉があります。これも、よく目にも耳にもします。ですが、その意味は、私にも正確には分かりません。諸者諸氏は、いかがでしょうか。

 インターネット情報では、「政治はあらかじめ定められた憲法の枠の中で行わなければならないというものである」と説明しているものがあります。広辞苑は、「憲法を制定し、それに従って統治するという政治の在り方」としています。このような理解で間違いはないと思いますが、もう少し掘り下げてみます。

 国民主権主義において、国家権力は、憲法によって国民から信託されたものです。国家権力の行使は、憲法により制限されます。ですから、政治は、憲法の枠の中で行われなければならないのは当然です。憲法の枠というのは、憲法の明文に限らないということは、これまでも何度も述べてきましたが、ここでもそのことは大事です。憲法の明文の裏に隠れている部分を見なければならないのです。つまり、憲法を生み出した母体にまで、さかのぼらなければならないこともあるのです。

 憲法の明文の裏に隠れている部分を見るうえで、最も大事な秤は、憲法の究極の価値である個人の尊重、基本的人権の保障に適合しているかどうか、という点にあります。つまり人命と幸福追求権が保障されているかどうかという点にあります。立憲主義が守られているかどうかは、最終的には、政治が個人を尊重、基本的人権の保障を守って行われているかどうか、ということになります。

 立憲主義を、憲法に明記されている明文の規定に従えば、それで足りるという誤解に基づき、憲法改正の96条の規定に従えば、どのようにでも改正できるという考え方は、目に見えている部分だけで判断するという誤りを犯しているのです。

 政治は、憲法の枠の中で行われなければならないという立憲主義の憲法の枠は、憲法に明記された、その条項だけを指すのではなく、人類普遍の原理とか、自然法とか、根本法とか、基本法とか、原則法と呼ばれている真理を指すものなのです。憲法の条項にだけ従えば、何でも許されるという政治は、場合によっては立憲主義に反することになるのです。


 〈「法治国家」〉

 「法治国家」という言葉も、よく目にし、耳にします。広辞苑は、「国民の意思によって制定された法に基づいて国家権力を行使することを建前とする国家」としています。法治国家という言葉は、もともとは王の権限を制限するための言葉だったようです。

 そもそも権力を制限するための言葉なのです。ところが最近、この言葉を政権側が、法に従えば何でもできるが如く誤解しているのではないかという、政権側の発言や姿を見ることがあり、気になります。言葉の表面だけを見て、そのことばの真意を知らない輩なのです。

 もともとは、法律で行政を縛る目的の法治国家という言葉を、政権担当者が政権担当者側に都合よく、法に従っているから何でもできる、それが法治国家だというように悪用することを許してはなりません。言葉は、その真の意味を理解しないで、表面的に形式的に使用されると、反対の結果を生み出すことがあります。言葉には、いつでも諸刃の剣という面があることは否定できません。

 このような誤解が生じるのは、隠れている部分を見ようとしないからです。ある言葉や、法の目に見えている部分だけを見て、その裏に隠れている原理とか真理を見ようとしないからです。憲法96条の憲法改正手続に従えば、憲法をどのようにでも改正できるという考え方と同じ誤りを犯しているのです。法に基づいて国家権力を行使する、という場合の法は、明文だけではなく、その法が生まれ出た、その根本まで掘り下げなければならないのです。

 法治国家という場合の法とは、人類普遍の原理、自然法、根本法、原則法等までを指すものであることを知らなければならないのです。法治国家という言葉は、どのような経緯で生まれたのか、なぜ生まれたのか、そのなぜを考えないで、法に従えば、それが法治国家だなどと主張するような政権担当者の発言を許してはならないのです。

 立憲主義や法治国家という言葉を、政権に都合よく使われてはたまりません。独断専行を縛る目的で生まれた言葉が、政権によって逆手に取られてしまってはならないのです。そのためには、法や憲法の個々の条文の明文だけを見ないで、その裏に隠れている部分を見なければならないのです。憲法の究極の価値である個人の尊重、つまり個人の生命と基本的人権の保障がなされているかどうか、それが侵害されることにならないか、という秤やものさしが不可欠なのです。

 この観点からは、安倍政権の立憲主義や、法治国家という言葉に対する理解の仕方には疑問を禁じ得ないことが少なくありませんでした。主権者である国民は、政権に対し、十分に監視の目を向けなければなりません。

 のみならず、国民自身も、多数決で何でもできるという考え方は、見直さなければならないのです。たとえ、多数意見であっても、原理や真理に反する法の解釈や、憲法改正などできないことを知らなければなりません。それが立憲主義や、法治国家の真の意味です。多数決でことを解決する民主主義にも限界があるのです。数で何でもできるというのは誤りです。

 憲法には、このような民主主義の欠陥を是正する役目もあるのです。それが、法の支配であり、立憲主義であり、法治国家という考え方の底を流れている真理なのです。

 (拙著「新・憲法の心 第25巻 国民の権利及び義務〈その2〉」から一部抜粋)


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