司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>




 

 〈日常生活の中ででき上がっていくもの〉

 私の親、兄弟は、戦中戦後、三度の食事に事欠くような赤貧生活を送りました。父母は今日の食料をどのようにして集めるかに四苦八苦していました。幼鳥に餌を運ぶ親鳥そのものでした。兄は弟たちに少しでも多く食べさせたいという思いで、自分の食べるものを我慢しました。ここが、鳥と人間の違うところです。鳥では弟たちのために自分が食べることを止めるものはいません。

 その父母や兄の姿を見て、いつか偉くなって、父母や兄に恩返しがしたいとの一心で生きてきました。苦しい生活が、そういう思いを育んでくれたのです。

 親が残した財産を巡って親子や兄弟間で争うなどという気持ちが湧いてくる余地など全くない貧乏生活の中で、助け合って一人一人が一生懸命生きようということを教えてもらってきました。親子、兄弟は、ただ互いの幸福を願って生きてきました。互いに相手のために役に立ちたい、助けてやりたいとの思いで、自分の力を出し切って生きてきました。苦しい生活の中だからこそ、思いやりの心が生まれ育ったのです。

 貧乏生活を経験させることは、子に残す大事な遺産という一面もあります。しかし、子どもにひもじい思いをさせることは、親としては何よりも辛いことです。敢えてそれを体験させることができたら、素晴らしい教育だと確信します。

 私たち兄弟は、それを体験させてくれた父母に感謝しています。ですが、自分はそれができません。言ったり書いたりはしますが、実行できないのです。その場の情に流されてしまいます。この気持ちは子や孫に察してほしいのです。相当ハードルの高い願いです。

 父母や兄弟の幸せを願う気持ちは、子どものころから、親子、兄弟としていっしょに苦しい生活をしてきた中から生まれたものです。親が亡くなる直前になって、「そうしなければならない」と教わったものではないのです。子どもの頃からいっしょに生活する中で、父母の子を思う気持ちや兄弟の互いを思い合う気持ちの中で生まれたものなのです。

 遺産問題の解決は、残す人と残された人の気持ちが大事ですが、その気持ちは、残す人が亡くなる直前に急にはでき上がりません。夫婦、親子、兄弟がいっしょに生活する間に、徐々に構築されるものです。それは、家族がいっしょに生活している時に、人生はどうあるべきかという問題に正しく向き合っている中で生まれ、醸成されるものです。

 「人生は、いまの一瞬を、まわりの人といっしょに楽しみ尽くすのみ」ということに気付けば、夫婦、親子、兄弟は最も身近で大切なまわりの人という存在に気付くはずですから、相続問題でもめるようなことはないはずです。このような最も身近で、最も大切なまわりの人である夫婦、親子、兄弟で骨肉相食む遺産争いなどしていられないことに気付くはずです。

 夫婦、親子、兄弟が互いに思い遣り、助け合う気持ちの構築は、夫婦となり、子どもが生まれ、同じ屋根の下で寝食をともにする日常生活の中ででき上がっていくものです。ですから、相続問題が現実に発生しそうになってからでは、手遅れです。結婚し、子どもが生まれた時から既に始めなければならないのです。

 遺産を残すために稼ぐことも大事ですが、子どもといっしょに生き方を考えることも大事なのです。仕事仕事で、子育ては妻に任せっきりだったわが身を深く反省しています。


 〈争いを助長している中途半端な法律情報〉

 普通は、夫婦、親子、兄弟間では、自然に発生し段々深められていく人間の情がありますから、自然に互いに思い遣りの気持ちが生まれ、それが大きくなっていくものです。それが、互いに独立し家族を持ったりすると、自分の家族の方が親子の関係より兄弟の関係より大事になっていきます。

 テレビで観る動物の世界も同じようです。新しい家族のため、古い家族と離れるようです。動物に哲学があるかどうかは分かりませんが、人間には動物以上の楽しく生きるための哲学がほしいです。

 遺産を巡って、親子、兄弟間で骨肉相食む相続争いをさせないためには、遺産を残す人と遺産を残される人の気持ちが大事にされなければなりません。遺産を残す人の気持ちと、遺産を残される人の気持ちを、常に確認し合っておくことが大事です。

 ネット情報や他人の言葉や法律に左右されないような、しっかりした気持ちを普段より作り上げておくことが大事です。それが人生を楽しく生きるための哲学の実践です。相続問題と言う局面においても、「いなべんの哲学」が実践されるかどうかが試されます。

 生き方に関する正しい考え方、つまり哲学がないところに親が残した財産を巡って、親子間の争いが生まれる原因があります。親子、兄弟は、それぞれの家庭を持ったりすれば、自分の家庭が第一となるのは、それも人間の情として分からないわけではないのですが、中途半端な法律の情報がその争いを助長している気がします。

 法定相続分とか遺留分とか、特別受益分とか、寄与分とかの法律の規定が、親子間、兄弟間に相続争い一層強めているように思えます。法律に任せないで、自分の生き方、つまり哲学を持たなければならないのです。その哲学というか生き方、基本的な考え方は、普段の生活の中で構築されるものなのです。普段の親子、兄弟間の話し合いと気持ちの歩み寄りが大事なのです。

 (拙著「いなべんの哲学 第6巻 」から一部抜粋)


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