〈刑法が必要な世の中は理想ではない〉
「法律」とは、社会秩序を保つために、国が国民に守るように命じた決まりです。国が国民に守らせようとする掟です。「倫理」とは、人として、こうでなければいけないと考えられる生き方の原則に基づく体系です。
法律と倫理には、共通する部分もありますが、本質は全く違います。法律は、国家と国民という関係の中にあるものです。国家が国民に命じるものです。倫理は、国家とは関係なく、それぞれの個人が、人としてどう生きるべきかという問題です。国家からの命令ではなく、それぞれの人の個人の生き方の問題です。
法律を守るということは、国民としての義務です。法律を守らないと、社会の秩序が保たれません。他の迷惑になるような行為を、やりたい放題やられたら、安心して生活ができません。煽り運転など野放しにされたら、善良な市民は困ります。安心して自動車は乗れません。悪い奴は、法律によって取り締まってもらわなければなりません。
このように、法律の力によって取り締まってもらわなければならないことは沢山あります。それは、悪い奴らがいるからです。ですが、本来は、取り締まられなくても、自らそういうことをしてはらない、と自制しなければならないのです。それが倫理です。法律さえ守っていればよい、などという考えでいる人は、最低レベルの人間なのです。
刑法という法律には、「人を殺したら、死刑か、無期懲役か、5年以上の有期懲役に処する」という規定があります。殺人罪の規定です。これは、法律です。国が国民に対して、「人を殺してはならない。もし、これに反したら、処罰する」と国が決めたのです。ですが、人を殺すことが悪いことだということは、法律が決めたものではありません。法律以前から、人を殺すことは悪いことだと決まっています。人を殺してはらないということは、人としてこうでなければならないという生き方の原則に基づく体系の中にあるのです。倫理として、確立されているのです。
法律の中でも刑法という法律は、倫理に反する行為の中でも、特に他人に迷惑をかける行為を、処罰という手段を使って止めさせようとしているのです。 目に余る煽り運転などで善良な市民が迷惑を受けていますので、そのような行為を止めさせるために罰則を定めて取り締まるのです。「法律を守れ」というのは、このような法律においては極めて当然です。
ですが、本来なら、刑法などという法律がなくとも、人を殺したり、他人の物を盗んだり、煽り運転などしてはならないのです。にもかかわらず、そういうことをする奴がいるから、刑法という法律が必要となるのです。刑法が必要な世の中は、理想ではありません。本来なら、刑法などなくても、皆が安心して暮らせる社会が理想なのです。倫理に従って生きる人ばかりの世の中が、理想の社会なのです。
刑法のような法律は、守らなければならないのですが、普通の人は、特に常識的な日本人は、刑法などなくても、人を殺したり、他人の物を盗んだり、煽り運転などしません。国から命じられなくとも、人としてこうでなければいけないと考えられる生き方の原則に基づいて、そんなことはしないのです。
〈法律至上主義に陥ってはならない〉
国から命じられなければ、法律によって取り締まられなければ何でもやる、などという人間は、最低の人間です。いなべんの同級生の弁護士・久保利英明先生は、「違法な経営はおやめなさい」という本を書いて、「コンプライアンス」という言葉を流行らせましたが、立派に見える大企業でも、法を守らないことが少なくないようです。ですが、いなべんは、コンプライアンス(法令遵守)では足りなく、インテグリティ(信義誠実)でなければならないと考えています。いまや、コンプライアンスの時代から、インテグリティ時代に変革しなければならないのです。
「法律は絶対だ」とか、「法律さえ守っていればそれでよい」などという考え方を、裁判官も検察官も弁護士もすべきではありません。裁判官や検察官や弁護士という法律の専門家は、まず、法律至上主義に陥ってはならないのです。
法律の専門家に限らず、法律のプレーヤーとも言うべき一般大衆にも、このことは知ってほしいのです。特に、民法の世界においては、法律が絶対ではないのです。民亊の世界、つまり、個人と個人の関係においては、民法をはじめとする法律の規定の多くは、個人と個人の問題には国は干渉しないのです。個人に任せているのです。倫理に任せ、法律は干渉しないのが原則なのです。
今回、みのる法律事務所の事務長・千葉美智さんが、「平成30年の改正相続法」のピンクの本を出版しましたが、「改正相続法に従わなければならない」と述べているのではありません。この点は、みのる法律事務所の責任者として、特に申し上げたい点です。改正相続法の規定に従うより、もっといい方法はいくらもあるのです。
改正相続法が述べているのは、当事者間で決められず争いとなり、裁判となったら、「裁判官は、改正相続法に従って判断しなさい」と、裁判官にガイドライン(指針)を示したものに過ぎません。
民法の規定は、その多くは任意規定です。任意とは、「するかしないか、どれにするか、その人の思うままに決めること」ですから、売るか買うか、いくらで売るかいくらで買うか、などは、売る人買う人が自由に決めればいいのです。国の法律が口出すことではないです。「国が口出ししないで、個人の考えに任せる」ということが、私的自治、契約自由の原則です。これが、個人間の問題を解決する際の原則なのです。
相続だって同じです。夫が、父が残した遺産をどのように分けるかとう問題は、民事問題ですから、国が口出しすべき事柄ではありません。ただ、当事者間で話し合いがつかないで、民事裁判となった時に、裁判官が何に従って判断したらよいか分からなくなりますので、裁判官が判断する基準を示しておく必要があるので、民法という法律があるのです。裁判官さえ、全知全能だったら、こんなガイドラインなどいらないのです。裁判官だって人間ですし、未熟な者が多いのです。判決を出す際に、指針がなければ危ないのです。
相続人全員が、裁判や法律などに頼らないで、人としてこうでなればいけない、と考えられる生き方の原則の体系の下に、つまり倫理に従うなら、裁判も法律も不要です。裁判官も弁護士も不要です。それこそ、理想の社会です。
法律以上に倫理を学んで下さい。「人としてこうでなければいけないと考えられる生き方は何か」を探求して下さい。その一つの例として、郷里の生んだ偉人・後藤新平の「金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」という言葉を紹介します。
私は、「人は、いまの一瞬を、まわりの人といっしょに、楽しみ尽くすのみです」という田舎弁護士(いなべん)の哲学に従って、相続問題を解決してほしいと考えています。つまり、相続問題も、生き方の問題です。身近で相続問題が発生したら、人生を語り、法律と倫理を語りに、みのる法律事務所にお立ち寄り下さい。お待ちしています。
(みのる法律事務所便り「的外」第348号から)
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