司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 第2回 平成という時代(上)

 1989年から平成という時代が始まった。今は平成23年、2011年になる。平成元年に生まれた人は、現在23才となる。平成の元年は、私が五反田に司法書士事務所を開業した年でもあり、不動産バブルが頂点に達した年でもあった。

 埼玉銀行南原宿支店のロビーにはグランドピアノが置いてあり、そこに若い不動産屋やノンバンクの融資担当者達がベンツやBMに乗って不動産取引の決済に毎日のようにやってくる。当時、私は44歳、現在、67歳となり前期高齢者となった。堂々の年金世代だが、加入期間不足で年金は貰っていないし貰いたくもない。

 それから20年、ふた昔しが過ぎた平成23年の3月11日に、突然、東北3県が歴史的大津波、大地震、原子力発電所崩壊により壊滅的な大災難に見舞われた。この日の夜、私は帰宅避難民となって東京赤羽の小学校の体育館で毛布にくるまって朝の来るのを待っていた。

 「カタストロフィの経験は多くの人のリアリテイーの感じ方を変えてしまう。今回の震災では《時間の感覚が分断された》という思いがある」(精神科医 斎藤環氏 週刊ダイヤモンド7月9日号32P)という。続いてきた歴史が突然切れた、そんな感覚が私にもある。

 平成5年、1993年頃から、不動産金融バブルの崩壊を予感させるような現象が列島のあちこちに現れてきて、誰もがこの国の行方に不安を感じ始めていた。

 しかし「『バブルが弾ける』という言葉があるが、実際のバブル経済はシャボン玉が割れるように急に弾けとんだわけではない。気付かぬうちに徐々に進行し、蝕んでいたというのが正しい。バブル崩壊は一つの節目ではあるが、時間軸においては“点”で存在するものではなかった」(週刊ダイヤモンド7月9日号 32P)。確かに、1989年正月の株式大暴落から始まって、コスモ信用金庫の破綻から1997年山一證券破綻、長期信用銀行等破綻に至るまで弾けるのに7~8年もかかった。

 「それに比べれば、3月11日14時46分というのは、明らかに日本が“別の世界”に移動した瞬間だった。地震後の津波被害、そして東京電力福島第1原子力発電所の事故・・・。それらは、その直前まで想定していた未来について、ことごとく修正を迫るものだった」(週刊ダイヤモンド7月9日号 33P)。

 確かにそうだが、不動産バブルの崩壊も、津波はともかく、福島原発の事故の場合もその結果については、当初から想定できたし、想定していた人たちも、相当に、この国においてさえ多かったのではなかろうか。

 想定と言えば、1970年のローマクラブの宣言で、すでに地球的な人類の悲劇への警告が発せられていた。20世紀の終わりから今日に至るまで、ずいぶん「ざまあみろ現象」を見てきたような気が私にはするのである。



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