司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 今回の安保法制と安倍政権の問題は、日本人にとって基本的人権とは何であるかということを再考させられる問題である。立憲主義の危機、法治主義、民主主義、国民主権の危機、ひいては戦後日本の平和主義と自衛権の問題もすべて憲法第3章以下の基本的人権、「個人の尊厳と幸福追求権」の問題に行き着く。

 

 3対2の僅差で会員側が敗訴した、阪神淡路大震災の義援金の強制支出を巡り、会員と司法書士会との間で、強制会である団体の行為と法人の目的の適法性が争われた、最高裁判所判決があったのは平成14年4月のことであり、それから早くも13年が経った。そこで争われたのは実質的には司法書士会における会員の基本的人権の問題であった。安倍政権体制がこのまま進行してゆくと、この国が司法書士会のようになってしまう。これは冗談ではない。

 

 そこで司法書士が人権を考える第一歩として、群馬義援金訴訟の会員側上告理由書をここでもう一度読み返してみたい。以下、その原文である。

 
 
 群馬訴訟上告理由及び上告申立て書
 
 上告人 小林 悟   補助参加人  清水 実
 代書人 勝瑞 豊
 一、 上告理由

 

 我が国憲法は、第十九条において国民に「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と規定し、第九十八条一項において「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と規定している。その規定で保護された権利を保障するために我が国憲法は第八十一条において「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する」とし民事訴訟法第三百十二条一項において「上告は、判決に憲法の解釈の誤りがあることその他憲法の違反があること」を上告の理由としている。

 

 よって右補助参加人は上告人らと共に、原審の判断の主要な部分について憲法十九条,十四条,二十九条等に違反する違法な解釈があったと考たので、原審判決の全部取り消しを求めて上告する。

 

 二、憲法十九条 思想良心の自由の意義

 

 我が国、立国の根本原理は、憲法第十三条が「すべて国民は、個人として尊重される」とあるように、個人の尊厳の達成とそれぞれの幸福追求の自由権確保にあり、その目的を達成するために国民を主権者とした民主制をその統治原理としている。しかるに、この憲法十九条の規定は、個人の尊厳と民主制を実現確保するための最も基本的、基礎的な人権保障規定である。学者も「思想・良心の自由は、内面的精神活動の自由の中でも、最も根本的なものである。諸外国の憲法においては、・・信教(宗教)の自由や言論・表現の自由の保障規定と別個の条文で、思想・良心の自由を保障する例は、二、三の憲法を除いては、ほとんど見当たらない。

 

 それは、内心の自由は国家権力の介入を許さない絶対的な領域であるから、憲法でとくに保障する必要はないと考えられていたこと、また、信仰の自由は宗教の自由に含まれ、思想の自由は言論・表現の自由の前提にあるものであるから、表現の自由の保障で足りると考えられていたこと、などの理由に基づくものと思われる」(憲法学三 人権各論一 九十八頁 葦部信喜)として、我が国憲法第十九条による保護は絶対的なものであるとしているが、このような第十九条の価値と厳格な保障に対する評価は、今日、憲法学会の通説的地位を占めている。

 

三、憲法第十九条立法の背景

 特に、この憲法条項の由来について「明治憲法下において・・交友関係とか、読書その他の行動とか、または密告によって、その抱懐する思想信条を推測憶断し、特定の思想信条に対し『国体』に反するとか、『神宮もしくは皇室の尊厳』を傷つけるとか、・・いうような理由によって弾圧を加え、内心の自由そのものを侵害する事例が頻繁に行われた。日本国憲法が、『言論、宗教及び思想の自由』の尊重を強調するポツダム宣言(十項)の精神を受け、精神的自由に関する諸規定の冒頭において、それと別個の条文で、思想・良心の自由を特に保障した意義は、そこにある」(憲法学三 人権各論一 九十九頁 葦部信喜)として、この憲法十九条の規定が、満州事変から敗戦に至る日本ファシズムの特殊な経験を反省した上で特別に定められた規定であることを強調している(佐藤幸治 憲法 四百八十四頁 同旨)。

 

 長引く不況と自由市場における孤立の中で、満州事変、日中戦争から、冒険的な第二次大戦に突入、そして無条件降伏にいたる戦前の二十年間の記憶は国民の心に深く刻まれている。この無謀な戦争が、当初は社会主義思想の弾圧に始まり徐々に自由主義的思想まで排除するに及び、産業は産業報国会に組織されついには隣組といった国民監視機構を作るというような方法で国民の良心や信条、更には趣味嗜好までを戦争に動員していった経験は決して忘れる事が出来ない(この時代に司法書士会が戦闘機を一機国に贈与したことが司法書士会史に写真入りで掲載されている)。

 

 国民の独立自尊と個人の尊厳、それを究極において支えている精神の内面、良心の自由が、始めは国家によって、ついで国家の権威によって支持された民間人によって、次いで市民相互がそれぞれの内心の自由と自己決定権を侵害しあうようになるとき、憲法第九十七条が宣言する「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」である憲法の保障する基本的人権は失われ、民主制は崩壊する。

 

 国家や権力的作用を持った民間団体が国民の内心さえをも支配するに至った時は、国民が自主的な国民の力で国民の基本的人権を自らの手で回復することは著しく困難となる。その事は飢餓に瀕する独裁的指導者国家、現在の北朝鮮の現実を見れば一目瞭然であろう。その様に、基本的人権を確保維持しそのための民主政治を可能とする為の根本的価値は「人間の精神的内面の自由」であって、その保障を規定する憲法十九条は憲法の保障する基本的人権の最も中核的な、また様々な人間の諸権利の母体となる価値を国民に保障しているものである。



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