12月12日、渋谷区松涛町のモンゴル大使館でフレルバータル大使に会って来た。来年早々にもモンゴルとの文化交流を中心としたNPO「大地の会」を作るので、その協力支援要請に行ったのだ。来年はモンゴルと日本国との文化交流協定締結から40周年にあたり、10月1日には文化庁の後援で、国立劇場においてモンゴル文化祭を催すとのことだった。われわれの「大地の会」がモンゴル国に協力団体として登録されれば72番目の団体となるそうだ。
豊富な資源と経済の高成長で最近にわかに注目されるようになったモンゴルだが、そちらのほうに関心は無い。むしろ、人口半分近い遊牧民の世界がカザフスタンのように破壊されてしまわないかそちらのほうがずっと心配なのである。草原で馬に乗りながら、10世紀、世界はここからつながったと思いつつ遠くアルタイ山脈を眺めれば、我々の知る国家とは何なのだという、日々、頭に浮かぶ疑問が、心に広がって行くのを感じる。 欧米300年の、自由主義、個人主義、競争主義、代議制民主主義、資本主義と自然科学の6個の原理は、結局、植民地制度、国家主義、帝国主義に行き着いた。日本もそれをまねて痛い目にあったわけだが、アジアの国々を訪ねて見れば、その後遺症が多かれ少なかれどこにも残っている。
法律を勉強して司法書士資格をとり、その法律ビジネスで、私は、今も生活をしているわけだが、西洋風の外套をまとったようなこの国の法システムや権力システムには、ほとほとうんざりするばかりか、何かしらいかがわしいものすら感じてしまうようになった。しかし、そんな時には旅に出るのが一番だ。もっと大きな単位で歴史的現在を考えることが出来る。
「秘密保護法」が成立し、一部の政治家(王様)と、官僚および軍人の秘密政治による権力国家になって行きそうな気配もするが、根っからの民主共和制の国アメリカと、巨大な軍事力を持った中国にはさまれていたのでは、一部日本人の期待は残念ながら実現はしないだろう。清国がそうであったように、官僚制による中央集権国家は、規模が大きくなり税金による官僚国家維持のための負担が、民の生産を圧迫するようになれば国家は解体する。そして、新しい国家が誕生する。辛亥革命に始まり日中戦争、核武装、文化大革命、そして巨大な国家社会資本主義へと、14億の人口を要する中国という国は、300年スケールで変わって行くのだ。決してわが国のように欧米300年を真似たわけではない。
イスラム世界もまた別の原理をもって変わりつつある。宗教国家を欧米の価値観に従わせることが出来ると考えているとすれば、多分それは困難で、きっと不可能だろう。それでは四つの島の日本人のこれからは?自然に任せていれば、なるようになる。後から見ればいつでもなるほどというような結果となって来たように、流されてきて、そしてこれからも流されて行くのだろう。