司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 日本の人口減少が加速的に進んでゆくことは明らかだが、その過程で確実に生じること、まず、死亡者が増える。その前段として「おひとりさま」のご老人が増える。子供が減り続ける。その前段として生涯未婚者も増える。これが、戦後70年ばかりの結論だったが、人口減少は日本人にとって決して悪いことではない。終戦の時の日本の人口は8000万人だったし東京も800万人だった。スエーデンの人口が900万人であることを考えれば、むしろ、今の日本の人口1億2000万人は多すぎる。我々が空き地で三角ベースをやっていたころの東京に戻ってもらいたい。

 

 さて当面する最大の問題は何なのだろう。葬儀場不足、何とかなるだろう。労働力不足、大した問題ではない。その意識から長年蓄積されてきた成長主義という毒素を抜けば簡単に問題解決する。最大の問題は、オリンピックの後にやってくる団塊世代の75歳、超高齢化時代の到来だ。

 

 では、すでに始まりつつある人生100年時代をどう迎えるか、それについて考えてみよう。

 

 まず、自分自身が今年74歳になるのだからその現状を述べれば良いのかもしれないが、身近な大先輩の話を聞いてみよう。2018年3月16日の朝日新聞に、89歳となった長谷川式認知症スケールで著名な医師とのインタビュー記事が掲載されていた。記者の紹介によると長谷川医師は「半世紀にわたり、専門医として診断の普及などに努めながら、『認知症になっても心は生きている』と、安心して暮らせる社会をめざしてきた。89歳の今、自身もその一人だと公表し、老いという旅路を歩んでいる」ということだ。長谷川さん自身が最近認知症と診断された。その現在の心境を語る。

 

 認知症を疑ったきっかけについて、「これはおかしい、と気づいたのは1年くらい前かな。自分が体験したことに、確かさがなくなった。たとえば、散歩に出かけ、『かぎを閉め忘れたんじゃないか』と、いっぺん確かめに戻る。確かに大丈夫だ。普通はそれでおしまい。でも、その確認したことがはっきりしない。そして、また戻ることもあって」。

 

 それで、昨年11月に病院に行き、診断を受けた。「弟子が院長をしている専門病院に、家内と行ったんだ。MRIや心理テストを受けたら『嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症』っていう診断がついた。物忘れ以上のものを自覚していたから、あー、やっぱり、と。戸惑いはなかった。このタイプは物忘れや頑固になるといった症状が出るが、進行は遅い。昔より多少イライラする頻度が増えたかな」。

 

 「認知症になるリスクは、年を重ねるごとに高まる。長寿化に伴って、僕のように80歳、90歳を過ぎてからなる人は増えていく。これを『晩発性認知症』という、一つのカテゴリーだと唱えている。100歳でも全然ならないピカピカの人もいると思うんだ。それはエリートだな、ごくわずかの」。

 

 長寿化に伴って、80歳、90歳を過ぎてから認知症になる人は増えて行くとは恐ろしい話だが、その事実は心しておかなければならない。私にとっても、80歳という年齢はいつの間にかそこにやって来ている。「物忘れや頑固になる」「多少イライラする頻度が増えた」・・・えっ、私も? その上わがままがひどくなってきた。まずいかな。

 

 長谷川師匠の一日は、「朝6時半ごろに起きて、朝昼晩の食事。その間に散歩したり、図書館や近所のコーヒー店に行ったりする。今日が何月何日なのか、時間がどれくらい経過したかがはっきりしないけれど、不便だと感じることはあまりない。夫婦2人だけの生活で、やるべきことは毎日ほぼ同じだからね」。
 

 静かな人生の秋、うらやましい。私には、まだまだやることが沢山ある。そのやるべきことも、考えるようになってきたのはつい最近のことだ。残された日常の雑務が一杯あるが、死んだら何とかなるだろう、何とかしてくれ、さようならという具合だ。しかし、実際はそうはいかない。死ぬまでに、介護というプロセスがある。これには金がかかりそうだ。



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