ホーチミン空港からはプノンペン空港に1時間ほどで着いた。ベトナム航空の青緑色の機体の色にも驚き、濃いオレンジ色のアオザイのスチュワーデスも色っぽくて格好良かった。私の海外旅行体験は仕事で40年前ごろ北欧諸国に行ったことと、最近では家内とグアム、サイパン、テニアンに何度か遊びに行ったくらいなので、未知の国に行くのだと機中でも結構緊張していた。正直いうと怖さも覚えた。
ベトナムについてのイメージは、対米戦争が終わったかと思ったら、休む間もなく中国、カンボジアを相手に戦争をした国、共産党の方針変更で、ドイモイ政策により市場経済を導入し、最近景気が良いらしいというものだった。カンボジアについては、世界の最貧国の一つで、今でもタイと国境でもめていてたまに銃撃戦があり、ポルポト時代に死んだ人の骸骨がいまだに田や畑から出てくるらしい国との怪しいイメージを持っていた。
人間というものは多分メデイアからの情報がその出所なのだろうが、それに基づく予見、偏見、先入観を持っている。一部でも真相を知るためには、現地現場に行くのが一番だが、今回もそれを痛切に感じた。この偏見に満ちた気分は、成田からベトナム航空機に搭乗して、快適な空間で、アオザイの美人スチュワーデスのサービスを受け、デイナーを食べてウイスキーを飲んだとたんに消えてしまったのだから私の軽さには自分ながら驚いてしまう。
プノンペン空港は小さな飛行場だった。サイパンの飛行場と似た南国の飛行場だ。東京は冬だがこちらは夏、飛行機内でリュックに入れていたテイーシャツに着替えた。飛行場からは現地ガイドのレンさんの案内で、バスで夜のプノンペンの市街を見ながら宿泊先のホテル・カンボジアーナに向かった。
バスの車窓から見える市街の姿に新鮮な感動を覚えた。片側3車線の広い道路を、無数のバイクが埋め尽くし、その間を器用に車が走り抜けて行く。よく見ると、信号があまりない上に、50CCのバイクに3人乗りなども珍しくはない。危ないじゃないか。しかしそこを事故も無く車やバイクが流れて行く。大半の店の電気は落ちていてたまにネオンが光っているだけで街路は暗いが、車のライトに照らされて結構明るい(電気料金が高いので節電しているらしい)。
若い人たちが多いし、皆、表情が輝いているように見えた。1960年代の日本の若者たちのようだ。全学連とか、歌って踊っての民青とか、若い根っこの会とか、創価学会の折伏とか・・があったころの日本の若い労働者、商店員のような感じがする。
カンボジアの主産業は農業、生産物は米だが、生産性が低いので自給で精一杯、輸出する程の余剰はない(この米でポルポトは中国から武器を買ったから人民は飢えてしまった)。しかし都市では、繊維産業が急成長しているということである。ユニクロの990円のジーパンはここで作られている。バイクの若者たちはそのような工場で、日本製工業用ミシンでジーパンを製造しているのだろう。
リーマンショックを引き起こすほどの、成熟先進国の余剰の資金は、発展途上国の急速な経済成長を支えている。日本の若者の990円、12ドルちょぼのジーパン代金は、農家から都市にやって来た若者たちの給料となり、その給料で中古バイクを買い、結婚すれば、青年労働者共稼ぎ夫婦は、韓国製の液晶テレビを買い、やがては冷蔵庫、クーラーを買い子供が生まれるのであろう。グローバル経済下での発展途上国の経済成長は早い。世界最貧国と見なされてきたバングラデイッシュも同様の状態にあるそうだ。
1960年代、70年代、日本には左翼言論というものがあり、左翼言論は正義と民主主義、平和を独占していた。その頃、左翼言論のインテリだった、宇都宮日弁連会長、仙石さんや枝野大臣に見えていた世界、南北問題や資本主義の全般的危機は、その後どうなったのだろう。私に言わせれば、左翼言論は「言葉 文字」のみを通して、まるで世界が見えているような錯覚に陥っていたという事実に気付いていなかったということだ。
1970年代後半からやってきたのは情報革命だった。この情報革命が世界を根本から変えた。そして消費者革命も引き起こした。その結果、ソ連のグラスノスチが始まり、その結末はと言えば社会主義の自己崩壊だった。そして表れたのは、グローバル経済、巨大なグローバル市場経済だ。グローバル化により労働市場も開放され、先進国労働者の賃金は下がり貧困国労働者の賃金は上がって行く。当然の成り行きではないか。
グローバル市場経済は、パックスアメリカーナ体制にも終焉をもたらしつつある。島国日本人は、島国故に自己中心、自己保身、自己愛過剰となりやすい。地球儀を回してみよう。カンボジアという小国を中心に見ると、インドからインドネシアに繋がる一個の世界が見える。カンボジア、クメール人、クメール語はインド系であって顔つきもインドに近い。中国人、朝鮮人、日本人とはかなり異なる。
今、2011年が終わろうとしている。我々はまさに20世紀とは異なる、21世紀という全く新しい発展と進歩の時代の入り口に立っているのかも知れない。