司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 産業革命が始まる前は、世界の人口は大体停止状態に近かった。産業革命が広がるにつれ人口が増加し始め、20世紀には劇的に増加し、世界を見れば未だ増加基調にある。しかし、国連の見通しでは西暦2100年には平衡状態になるらしい。

 

 人権や代議制民主主義、三権分立は、ヨーロッパ人の発明品であるが、それが普遍的なものであるかどうかは、現在のアメリカを見れば良くわかる。ただ偽善と批判する向きもあるが、人権や代議制民主主義、三権分立の3点セットが資本主義発展を支える不可欠の道具であったことは間違いない。米ソ冷戦が終わり、ヨーロッパ連合が分裂の危機に瀕しているという2017年末にあって見ると、丸山眞男氏の近代市民社会論も、吉本隆明氏の叫び声も愚痴も、ただしらけるばかりである。

 

 北朝鮮の恫喝の前に、アメリカの盾となって一身にリスクを背負う日本国では、一向に軍縮や平和への願いといった声が、メデイアにおいても市民の間からも聞こえない。なるほど、山田昌弘氏が言うように、日本の庶民派「底辺への競争」に怯えて、今より落ちることを恐れ、「今だけ金だけ自分だけ」となっているから、原爆を原発に落とされても、自分だけは助かると考えているのであろう。

 

 かように、全ての価値が多元化し多様化し、溶けだしているような現在にあっては、唯一確かな社会的数値は人口だ。マルサスを思い出す以前に、人口の変化は、社会構造の変動を理屈なしに引き起こす。懐かしき焼け跡の頃、人口は8000万人だった。明治が4000万人、現在は1億人を超える。これが今8000万人時代に向け縮小し続け、その勢いはもはや止めようがなくなった。何故、止まらなくなったのか。これほど分かりやすい理屈、原理はどこにもない。夫婦二人が、子供を二人以上産まなくなって、40年も経つのだ。夫婦二人が子供を二人以上産まないということは、少なくとも生まれる子供の確率から言って、男か女かどちらかの子供が生まれる。つまり、人間を生む能力を持った女性が半減するという絶対的な現実がある。特殊出生率1、??なんて言葉に騙されてはいけない。二人以上生まなければ絶対に人口は増えないのだ。

 

 だから、40年前から人口減少は確実に準備されていた。つまり現在20歳の女性の人口は、40年前の2分の1しかいないはずなのである。そうすると、その2分の1の女性が結婚して、一人しか子供を産まなければ、女性はその又2分の1しか生まれて来ない。

 

 40年前と言えば、私が33歳の頃ということになる。ゴールデン街はずれ新宿柳街の「ポッケ」という店に通っていた頃のことだ。その10年前、1967年には、ローマクラブの経済成長の限界という警告声明が話題になっていたし、みすず書房から「人類に未来はあるか」というイギリス人の書いた本を私は読んでいた。中国は文化革命のまっさかりで、サルトルがその中国に行き毛沢東先生の理想主義を讃えたということがあった。近代という西洋起源の文化に疑問を感じていた私も、文化大革命の礼賛者であった。そしてその夢想はものの見事に潰れたのであった。
 
 33歳になったころ、私もやっと結婚する気になった。その頃、高齢化社会という言葉が広がり始めていた。しかし、私はスナック「ポッケ」に来ていたジャーナリストに、正しくは、少子高齢化と言うべきだといい、持論の人生三回説を論じ、そして、いまそのとおりとなった。



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