〈湾岸戦争に学ぶ〉
○ 戦力はない方がよい
1990(平成2)年8月2日、イラク軍は、戦車350両を中心とする10万人の軍隊で、隣国クウェートへの侵攻を開始しました。イラクは、8月8日にはクウェートの併合を発表しました。イラクは、「クウェートの暫定政府の要請により、クウェートに介入した」と発表しました。
しかし、それは名目だけであり、嘘です。クウェートの暫定政府というのは、イラク軍人による傀儡、つまり、操り人形だったようです。クウェートの首長は、サウジアラビアに亡命しました。首長の弟は、少人数の警官隊とともに宮殿内で銃撃戦に及びましたが、死亡しました。
イラク軍とクウェート軍との兵力の差は歴然としており、イラク軍はクウェート軍の50倍の兵力で奇襲し、8月2日午前2時から侵攻を開始し、午前8時までにはクウェート全土を占領しました。クウェートは、武力で防衛することは全くできなかったようです。たった6時間で事は済んだのです。
クウェートが武力でイラク軍と渡り合わなかったことが、対等に渡り合えなかったことが、結果としてクウェート兵士の、そして国民の命を守りました。クウェートは、一時イラクに併合された形になりましたが、国連の集団安全保障の措置と多国籍軍の力で、間もなく独立国に戻りました。
この先例は、「日本が他国に攻め込まれた場合、どのようにして防衛すべきか」という問いに対する回答を示唆、つまり教えていると思います。武力で抗戦しない方がよい結果が出たのです。日本も、万が一日本に侵攻されたとしても、武力で抗戦しない方法を採るべきです。そのことを、湾岸戦争におけるクウェートが教えてくれています。
戦力がなければ、戦争にはなりません。一時、国を奪われることはあるかもしれせん。が、国は戻ってきます。しかし、戦争で亡くなった人の命は戻ってきません。「戦力はない方がいい」ということを、クウェートは教えてくれました。
日本国民は、湾岸戦争から、日本国憲法の「戦争の放棄」と「戦力の不保持」が正解であることを学びました。
○ 諸国民を信頼すべし
前述の通り、イラクは1990(平成2)年8月2日午前2時からクウェートに侵攻し、その日の午前8時までにはクウェート全土を占領しました。これに対し、国連安全保障理事会(以下、「国連安保理」と言います)は、同日中にイラクに対し、即時無条件撤退を求める決議をしました。8月6日には、国連安保理は国連全加盟国に対し、イラクへの全面禁輸の経済制裁を行う決議をしました。
米国は、8月7日にイラクとクウェートに隣接しているサウジアラビアに対し、米国軍駐留を認めさせました。米国は、米国軍をイラクの隣国のサウジアラビアに駐留させ、イラクを攻撃する準備を進めたのです。さらに、米国は有志を募るという形で、多国籍軍での攻撃を決めました。それに英国やフランスなどが続きました。エジプトやサウジアラビアなどのアラブ諸国も参加しました。
日本も、当時の米国大統領ジョージ・ブッシュに多国籍軍への参加を求められましたが、前にも述べましたが、当時の日本国首相・海部俊樹氏は、憲法9条を理由に多国籍軍への参加を拒否しました。ブッシュ大統領も納得しました。9条の存在価値は大きかったのです。
イラクは、国連の決議を無視し、同年8月8日には、クウェートをイラクの19番目の県として、併合宣言をしました。その後もイラクは、国連の度重なる撤退勧告を無視し続けました。国連安保理は同年11月29日に、「1991(平成3)年1月15日を撤退期限として、もしイラクがそれまでにクウェートから撤退しないときは、イラクに対し、武力行使を容認する」という決議をしました。国連安保理が武力行使容認決議をしたのは、初めてのことだったようです。ですが、国連軍はいまだありません。その結果、米国が音頭を取って多国籍軍を創りました。
多国籍軍は、1991(平成3)年1月17日に「砂漠の嵐」作戦と称するイラクへの攻撃を開始しました。サウジアラビアから、航空機及びミサイルによって、イラク領内を直接攻撃しました。米国海軍は、トマホーク巡航ミサイルを使用、米国空軍はB52で空爆をしました。この様子はテレビで実況生中継され、私たちも目にした記憶があります。まるで映画でも観ているようで、戦争の実感が薄かったことを覚えています。
1ヵ月以上にわたって行われた空爆により、イラクの軍施設はほとんど破壊されました。同年2月24日に、イラクに対する空爆は停止されました。同日から多国籍軍は、「砂漠の剣」作戦と称して、地上戦に突入し、イラク領に侵攻しました。同月27日には、クウェート市を解放し、ブッシュ大統領が停戦を発表、サダム・フセイン大統領は敗戦を認めました。
クウェートは、1990(平成2)年8月2日にイラク軍に占領されましたが、1991(平成3)年2月27日に解放されました。7ヵ月弱の間、イラクに占領されていたことになりますが、国連や多国籍軍によって無事解放され、クウェート国家は独立を取り戻したことになります。この間、クウェート国民の犠牲者は少なくて済みました。
統計は、戦争という状況のものですから正確ではなさそうです。極めて大雑把ですが、この一連の湾岸戦争におけるクウェートの犠牲者は1000人弱ではなかろうかとも言われています。他方、イラクの犠牲者は数万人ないし10万人くらいになるのではないかという見方もあります。
クウェートは、多国籍軍によって解放されました。日本国憲法の言う「平和を愛する諸国民の公正と信義」によって、「安全と生存を保持」できたのです。日本国憲法の考え方が正しかったことは、ここでも実証されたのです。歴史的事実という、確かな証拠に基づいて証明されたのです。日本国憲法の解釈の変更や改正など不要であること、つまり、現行憲法の「戦争の放棄」の規定が正しいことが証明されたのです。湾岸戦争から、諸国民を信頼すべきであることを学んだのです。
○ 武力による防衛はしない方がよい
このように湾岸戦争の経過を振り返ってみますと、他国に侵攻された場合は、武力を以て防衛する方法より、日本国憲法が前文において、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言している通りにした方が良いことが分かります。
この湾岸戦争の教訓を活かさなければならないと確信しています。もし、クウェートがイラクと対等に戦うだけの戦力があったなら、そして、その武力で防衛しようとしたなら、イラクがクウェートに侵攻した時点で本格的な戦争になっていたと思います。そうなったら、クウェートにおける犠牲者は1000人程度などということでは収まっていないはずです。
先日、わざわざ事務所を訪ねてくれたご高齢の大僧正の「戦争をするくらいなら、国を取られた方がよい」とか、「国をやってもいいから、戦争をしてはならない」という言葉は、この湾岸戦争の経過を振り返ってみますと、「間違いない」と確信しました。
湾岸戦争から学んだものは、過去の、しかもそう昔でない比較的最近の具体的事例から学んだものです。ミサイル等を駆使する近代戦争をリアルタイムで目の当たりにし、これから先の戦争は、どのようなものになるかを学びました。日本国が他国から攻められたときに、どのようにして防衛するかという問題を考える場合に、湾岸戦争から学ばなければならないと思います。
「武力による防衛はしない方がよい」ということをクウェートから学びました。これは机上の空論ではなく、現実にあった歴史的事実です。重く受け止めるべです。「論より証拠」です。議論より証拠の方が説得力があります。
御用学者が集まり、屁理屈を並べて、「武力対武力」による防衛論を力説しても説得力などありません。歴史に学ぶべきです。御用学者の顔がテレビに映し出されると、むかついてきます。年甲斐もなく、「馬鹿野郎!」などと罵声を浴びせたくなります。一度も顔を合わせたことはなく、言葉を交わしたこともない方ですが、テレビに映し出される、物知り顔で戦争や武力の必要性を力説している姿に接すると、なんだか憎たらしくなってきます。
「あなたは、戦争でどれほど多くの人が死んだか知っているのか」、「あなたは、戦争によって、幸福に人生を全うしたいと思いながらも、それが許されなかった戦前の日本人の姿を知っているのか」と言いたいのです。
安倍首相も、私が御用学者と呼んでいる先生方も、「日本の防衛はどうすべきか」ということを真剣に考えておられると思います。そのような人たちに対し、悪口雑言とも思えるような言い方をしてしまいました。申し訳ないと思っています。ですが、私も「日本の防衛はどうすべきか」という問題を考える時、戦争によって人生の入り口で命を奪われた若者、妻子を残して死んでいった夫や父、夫を、父を失った妻や子のことが思われ、ついつい頭に血が上ってしまいます。その結果、言い過ぎではないかと思える表現もしてしまいます。
この問題は、方向を間違えたら、日本が戦前の軍国主義に戻るばかりか、日本の壊滅、日本人の滅亡に繋がる問題です。子や孫のことを思うと、妥協はできません。誰に何と言われようと、憲法9条の「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」の規定を死守し、「二度と戦争をしない」ということが、日本国を、日本人を防衛する唯一の方法であることを訴え続けるつもりです。
それが地球の平和を守る究極の方法です。それが「永久不変、世界普遍の真理」です。それを地球上に広めることが、日本国憲法の、日本人の真の役割だと私は信じて疑いません。それを訴え続けることが、現代医学によって「Gift of Life」(命の贈り物)を頂いた私の、世の中に対する恩返しだと確信しているのです。
これからも、手を替え品を替え、訴え続けるつもりです。=この項終わり
(拙著「新・憲法の心 第7巻 戦争の放棄(その7)」から一部抜粋)
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