〈取り上げられない司法の問題〉
今この国は、国家権力に対する信頼性を根こそぎ揺るがしかねない大きな事件に遭遇している。一国の宰相夫妻が国有地の民間人への売却に関わったのか、その売却に関わった官庁はその売却にどのように対応したのか、また、宰相は学校法人の新学部承認に何らかの便宜を図ったか、防衛省はイラクやスーダンへのPKO部隊派遣の日報を隠蔽したのかなどが問われている。そこでは、憲法15条2項に定める「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」との規定に従わない高級公務員の存在をも見せつけている。
公務員が職務遂行上求められる基本理念である「全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」ということは、国民に対する公平性の遵守を求めるものである。ところで、同じ公務員ではあっても裁判官については、憲法76条3項に「良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」とその職務理念を定める。裁判官について、ことさらにその独立性を求め、憲法と法律にのみ拘束されることを求めているのは、分かりきったことではあるが、裁判官は憲法と法律以外の力に屈してはならないということである。裁判官の職務に就いている者は、公平性と共に独立性をその職務遂行過程において片時も忘れず常に己れに言い聞かせ、戒めとしなければならないということである。
政局絡みの事件となるとマスコミは連日のように繰り返し報道する。しかし、国家三権の一つである司法の分野、特にその最高の地位に立つものに関しては、そこで取り扱われた事件の内容、結果については取り上げても、そこに現れた司法の根本の在り方に関わる問題についてはまるで蓋をしたかのように触れない。
〈ヴァイツゼッカーの言葉と司法権の独立〉
1985年5月8日、ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)大統領リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏がドイツの敗戦40周年の記念の日に連邦議会で行った講演は、「荒れ野の40年」と題されて、多くの人々に知られている(岩波ブックレット№55)。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」という言葉は多くの人々から共感を持って受け容れられている。
そのヴァイツゼッカー氏は、1988年2月にカッセルの連邦社会裁判所・連邦労働裁判所において、「法の番人であり市民の守護者としての裁判所」と題して講演を行い、その中で、「権力分立の点では、立法権と行政権は相互の関係が強いから、裁判所は政治から独立の部門でなければならない。裁判所は強者に対する弱者の本来的保護のための法(権利)の番人である。裁判官の独立性は、種々の見解や解決を問いただし、内省を欠かさぬ精神的開放性から得られる。」と述べている(木佐茂男「人間の尊厳と司法権」日本評論社、389頁)。
司法権の独立、裁判官の独立と称されることは、我が国において当然のこととして厳しく守られており、守られていると認識している国民が多いのではあるまいか。しかし、現実は必ずしもそうではない。「憲法上内閣が裁判官を任命することと、下級審裁判官の任期がわずか10年であることによって裁判所は政権の侍女としての性格を強めてきた」(前掲木佐395頁)。「日本戦後の司法民主化は……内発的性格は弱く、その改革は司法省との分離、形式的な三権分立を確保せんとするあまり『裁判官の独立』への配慮に欠けるものであった」との指摘がある(同著396頁)。この指摘は約30年前のものであるけれども、私は、現在その実態はより不安な方向に向かっていると見る。
司法を脅かす力とは何か。暴力、脅迫行為あるいはそれに準じる力も当然に考えられるけれども、憲法が考えているのは明らかに、目には見えない権力であることは間違いない。つまり、司法権の独立、つまり裁判官の独立というのは、かかる権力に迎合しないこと、ヴァイツゼッカー氏の言葉にもあるように、強者に対する弱者の本来的保護のための法(権利)の番人としていかなる圧力にも屈せずその使命を果たすことである。