〈「戦争絶対反対の心」〉
フロイトは、以前書いたように、「人間がすぐに戦火を交えてしまうのが破壊欲動のなせる業だとしたら、その反対の欲動、つまりエロスを呼び覚ませばよいことになる。だから、人と人の間の感情と心の絆を作り上げるものは、すべて戦争を阻むはずなのである」と述べています。
さらに、フロイトは「実は、この感情の絆には、2つの種類がある。ひとつは、愛するものへの絆のようなものである。ただし、絆の相手にむき出しの性的な欲望を向けている必要はない。ここで『愛』を持ち出したわけだが、精神分析がそのことにやましさを感じることはない。宗教でも言われているではないか。汝、隣人を汝自身のごとく愛せよ!素晴らしい言葉だ」と述べています。
フロイトは、「愛」こそ戦争を防止するために必要だとしたうえで、宗教を持ち出しています。「戦争防止論」を論じる上では、愛や宗教を無視することはできません。体望と心望という2つの異質な欲望の存在を意識したうえで、戦争防止の2つ目の柱である「戦争を防止する人間の心のあり方を整える」という問題を議論すべきだと確信します。
フロイトは続けます。「しかし、言うは易し行うは難しである。もうひとつの感情の絆は、一体感や帰属意識によって生み出される。人と人の間に大きな共通性や類似性があれば、感情レベルでの結びつきも得られるものなのだ。こうした結びつきこそ、人間の社会を力強く支えるものなのである」。
戦争防止のためには、感情レベルでの結びつきが不可欠であり、それが心のあり方の調整において決定的な要素となるのです。感情レベルの結び付きは、愛であって、憎しみ合うというものであってはならないのです。
私は物心がついた頃より、特に手術や入退院を繰り返すようになってから、「人生はどう生きるべきか」と考えてきました。ほんの一瞬の人生です。しかし、その一瞬が永遠なのです。そのような人生は、「自分も周囲の人も楽しみ尽くす」ということに徹するべきだと思いに至っています。以前も書きましたように、この考え方を「いなべんのフィロソフィ」と称して他人にも勧めています。
「人生を楽しみ合うのみ」という考え方に立てば、人の命を、自由を、権利を奪う戦争は、絶対反対ということになります。「戦争反対」は、私の人生そのものです。これからも人生の目標です。「戦争絶対反対」という心のあり方が、戦争防止を実現する2本目の柱になると確信しています。
戦争防止論を論じることは大事なことですが、理屈より「戦争絶対反対の心」の方が、戦争防止に役立つと確信しているのです。理屈はどうでも言えますが、自分の心は嘘は言えません。以前「正義の戦争よりも、不正義でも平和の方がよい」と語った小沢昭一氏の言葉を紹介しました。政治家や学者の理屈より、大衆の「戦争絶対反対の心」の方が戦争防止に役立つのです。
〈多種多様な欲望〉
欲望は、本能的欲望から崇高、つまり、とても優れていて気高い「心望」まで多種多様です。「いなべんの欲望のビラミット図」の上の部分に進むに従って、欲望の内容は動物的な単純なものではなくなり、より人間特有なものとなり、複雑になっていきます。その上、それぞれの欲望のバリエーション(変形)は無限にあります。まさに「百八煩悩」「八万四千の煩悩」などと言われ通りです。多分、欲望は底なしにあるのだと思います。無限にあると言えそうです。
その上、欲望の現れ方は一人一人異なります。人によって、それぞれ欲望には強弱があり、形も違います。同じ人でも、いつも同じではありません。年齢的変化、体調変化、環境の変化等に伴い、欲望も変化します。健康な時と病弱な時では違います。同じ人でも体調ひとつで変わります。周囲の状況によって変わります。誰といるかによっても変わります。天候によっても変わります。欲望は自分の内面的なものではありますが、外からも強い影響を受けるものです。
「ほしい」「したい」という積極的な形の欲望は、意識の表に現れます。これは比較的分かりやすい欲望です。時には、「ほしくない」「したくない」という消極的な形の欲望もあります。ただ、なんとなく「ほしくない」「したくない」と思うものですから目立ちません。ですが、これも欲望です。「不足を感じて、これを満足させようと望む心」のバリエーションの一つです。
欲望の中には、ボランティアのように他人の役に立ちたいというものもあります。このような欲望は、世の中から見れば「望まれる欲望」と言えそうです。これに対し、変質的な欲望もあり、それを満足させるために少女を切り刻んでしまうなどという、他人の人生を奪うものさえあります。これは世間からは「許されない欲望」です。犯罪となり、刑罰を以て制裁を受けることになり、社会的に強い非難を受けることになります。
「他人を愉快にさせたり、気分よくさせる欲望」もあり、「不快にさせる欲望」も少なくありません。「自分が楽しく、他人も楽しくさせる欲望」もあります。それとは反対に、「自分も楽しくなく、他人も楽しくなくさせる欲望」もあります。性格のいい人、悪い人などと評価されるのは、この欲望のせいでしょうか。「いい性格」「いい人柄」と言われたいものです。
求められてもいないのに、「知らせてやりたい」「伝えたい」「教えたい」という欲望もあります。これは「自己顕示欲」というものでしょうか。一種の「名誉欲」でしょうか。「利他欲」の一つでしょうか。この部分は「名誉欲」と「利他欲」とが重なる部分がありそうです。この部分は、主に脳の指令というより心の指令によるものではないかと思うようになっています。つまり「心望」です。
この複雑怪奇とも言える無限な欲望が、多種多様な欲望が、人間の中には同時に存在しているのです。それが自分にもあり、自分を取り囲んでいる他人にもあるのです。それが複雑に絡み合いますので、人生はややこしいわけです。
戦争防止のための心のあり方の調整を考える場合においても、多種多様の欲望の存在を無視することはできません。夫婦間のトラブル、親子間のトラブル、他人間のトラブル、企業間のトラブルに関与する機会が仕事柄多いのですが、その原因は欲望の衝突によるものです。多種多様の欲望の存在を知らされますし、意識させられることになります。国家間のトラブルだって根源は欲望です。
「人を殺したい」という欲望を満足させようとして実行に移せば、国家権力によって死刑が執行されることがあります。これは、国家権力が殺人犯を死刑という刑罰の暴力で押さえようとする行為です。戦争という大量殺りく行為に対しては、それはいまだにできていませんが、国連軍という暴力によって、戦争に及んだ国に対して制裁を加えるという方法で戦争を防止するという外的な枠組みが不可欠です。
ですが、これだけでは、つまり暴力だけでは、殺人も戦争も完全に防止できないのです。「人は殺さない」「戦争はしない」という一人一人の人間の心がなければならないのです。
欲望のうち、フロイトの言う「破壊欲動」を阻止し、「エロス的欲動」を奨励する教育は、戦争を防止する心のあり方を調整するためには効果的だと確信します。個人の心の持ち方と教育によって、欲望をコントロールし、「破壊欲動」を抑え、「エロス的欲動」の大切さを知らせることは、戦争を防止するためには不可欠です。「自分も楽しく、他人も楽しくさせる欲望」を増幅させるように意識的な努力が必要だと確信します。
(拙著「新・憲法の心 第22巻 戦争の放棄〈その22〉」から一部 抜粋)
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