〈日本国憲法において働かない人の生活費に税金を使っていいか〉
この問題に対する回答は、簡単には出し難い気がします。ここの問題には、国民の権利及び義務の問題や、税金の使いみちの問題が凝縮していそうです。憲法や法律の条文の問題以外の人間の心の問題にも関係しそうです。いろいろ考えてみたうえで、結論を出してみます。
仲間の回答は、「使ってはならない」というものが多く、中には「分からない」という回答もありました。相当迷う問題です。まず、この問題に関係しそうな憲法の条文を拾いながら考えてみましょう。
日本国憲法25条1項には、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めています。この規定は、どう解釈したらいいのでしょうか。
権利とは、「一定の利益を主張することができ、また一定の利益を受けることができる資格」(角川必携国語辞典)ですが、国民は、誰に対して、この権利を主張できるのでしょうか。憲法は、国民と国家の関係を規定するものですから、国民が国家に対し主張できるということになります。ですから、国民は国に対し、健康で文化的な最低限度の生活を営む利益を受けさせるように主張することができることになります。
国家の主権者は、国民です。国家は、国民のための機関にすぎません。ですから、国民が国家に対して主張できるということは、最終的には、国民が国民に対して主張できるということになります。
この規定は、国民が、国民に対して、健康で文化的な最低限度の生活を営む利益を主張することができる、ということになります。分かりやすく言えば、食えない国民は食えている国民に対し、自分にも食べさせろと言えることになります。なんだか変ですが、突き詰めて考えると、そういう理屈になりそうです。突き詰めた理屈は、そういうことになりますが、現実には健康で文化的な最低限度の生活を営むことができない国民が、国家機関に対して権利を主張することになります。
ですから、この規定をそのままこの問題に当てはめてみますと、国民は働かなくても、国に対し、健康で文化的な最低限度の生活を営む利益を主張できるという結論になりそうです。
なんだかしっくりしません。多くの人の心の中には、「働けるのに働かない者を、何故食べさせなければならないのか」という思いがあり、よく調和した落ち着いた結論という気がしません。働けるのに働かない人に対する感情論もあるのです。
日本国憲法27条1項には、「すべての国民は、勤労の義務を負う」とあります。働けるのに働かない人は、国民としての義務を果たしていない気がします。義務とは「人が社会で生活する上で、しなければならないことがら」(前同)です。国民の義務を果たさないで、国民の権利だけを主張することは、一方的で納得できない思いが湧くのは当たり前です。ここのところに、働かない人の生活費に税金を使うことに素直に賛同できない理由があります。
〈国の経済体制と修正主義〉
この問題を解くカギは、国の経済体制をどう捉えるかということにも関係しそうです。世界には、資本主義経済体制の国と、共産主義経済体制の国があります。資本主義とは、「財産を個人のものとし、資本家が利益を得る目的で労働者を雇い、商品を生産する経済のしくみ」で、その仕組みを採用する国が資本主義国家です。共産とは、「財産を個人のものとせず、その社会全体で共有し、それを利用し、生み出した物を公平に分配しようとするしくみ」ですから、共産主義国家とは、そのような経済の仕組みを取り入れた国ということになります。
経済とは、「経国済民」を詰めた言葉です。つまり、国を治めて民を救うということですから、憲法制定権者は、どのような仕組みを作ったら、国民に幸福をもたらすことができるかということを考え選ぶことになります。世界を見渡しますと、資本主義国家と共産主義国家のどちらの国もありますが、日本はどちらの主義なのでしょうか。分かり切っていますが、いい機会ですから考えてみます。
日本国憲法は、第29条1項で「財産権はこれを侵してはならない」と規定しています。これは、前述の通り、国は、国民の財産権を侵してはならない、という意味ですから、日本は、共産主義体制はとらないで、資本主義体制をとることを明らかにしたものです。日本国の主権者である日本国民は、資本主義経済体制をとることを憲法上に宣言したものです。
共産主義の考え方は、国が財産を持ち、国がそれを使い利益を生み出し、その利益を国民に公平に分配した方がよいと考えたのですが、この考え方が、理屈として間違っているとは言えませんが、現実には成功したとは言えないようです。20世紀には共産主義国家は少なくありませんでしたが、21世紀に入り、この共産主義を取る国は、世界の中では少なくなりました。今なお、その考え方を取る国でも、個人の財産を認めるようになってきているようです。共産主義を修正しているのです。
理念はともかく、現実の中では、競争の中からこそ本当の進歩発展が生まれるという競争原理が働かなければならないという面がはっきり出たということになります。
飲食店経営では、「旨い、早い、安い」を実現した店が生き残るのです。国がすべての財産を持ち、その財産を使い、国が儲けようとしても、競争原理が働かないから生産力が上がらないのです。世界全体を観ると、そのような結果が20世紀から21世紀にかけて明らかになったと言われています。
しかし、競争原理に任せっぱなしでいれば、弱肉強食となり、強い者はどんどん強くなる一方、弱い者は弱くなる一方になりかねません。そこで資本主義のそのような欠陥を補うため、税金という仕組みを利用することになります。富の再分配という考え方です。
日本国憲法は、資本主義経済体制を取ることを日本国憲法29条1項に明記したすぐ次の30条に、国民の納税の義務を規定し、資本主義経済体制を取るが、弱肉強食にならないようにという歯止めをかけたのです。資本主義の修正とも言えそうです。
この納税の義務の内容次第で、税金が過大となれば、共産主義体制に近付く。他方、共産主義体制下においても個人の財産権を認めるようになっている国が多くなっている――。どのような理念に基づいても、現実には欠陥も生じ、修正が必要になってくることは当然のことなのです。どちらの考え方から出発しようとも、理念を実践してみて、欠陥が見付かれば、それを修正することは、やむを得ないものとなり、修正は不可欠です。そういう意味では、主義主張としては、修正主義が現実的には正しいということになりそうです。
(拙著「新・憲法の心 第28巻 国民の権利及び義務〈その3〉」から一部抜粋 )
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