〈「公共の福祉」を逆手に取ることは許されない〉
くどくなりますが、もう一度噛み砕いていいますと、「国民の基本的人権は、国家機関は絶対に侵害できないものであり、公共の福祉という言葉を使っても制約できないが、その絶対的権利である基本的人権を持つ国民は、その基本的人権を主張・行使する方法において公共の福祉に沿うように努力しなければならないという国民の心構えを宣言したものが公共の福祉である」ということになるのだと思います。
このように考えれば、前記憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」という条文は、抵抗なくストレートに伝わってきます。
公共の福祉は、「権利の濫用を許さない」という言葉と同じで、基本的人権という国でも侵害できない最強の権利を持つ国民が、自戒の念を、自らの心構えを宣言しているものであることが、よく分かります。
「公共の福祉」という言葉は、国家機関がこれを使って、国民の基本的人権を制限できる規定ではないのです。このことは、憲法改正を論議している国会議員の先生方に、釈迦に説法となりそうですが、特に強調させて戴きたいのです。公共の福祉という考え方は、国家機関が国民の基本的人権を制約できる憲法上の根拠とはなり得ないのです。憲法改正を考えている安倍政権には、是非理解して戴きたいのです。
主権者である国民が、国民のあるべき心構えを宣言したものなのですから、この言葉を国家機関が逆手に取って、国民の基本的人権を制限するなどということは、許されないのです。そんなことをしたら、憲法違反なのです。基本的人権は、憲法上究極の価値です。国家機関は、ひたすらそれを守らなければならない立場にあります。国民のために奉仕すべき立場にある国家機関が、国民の基本的人権を公共の福祉などという言葉を使って制限したりすることは、国民にとって飼い犬に手をかまれるという状態なのです。基本的人権を制約することができるのは、それを持つ国民だけなのです。
そのような立場にある国民は、「公共の福祉」とか「権利の濫用」とかの言葉を用いて、自らの心構えを、自戒を、思いを憲法上で宣言したのです。これを国家機関が逆手に取るような憲法解釈を許してはならないのです。最近、「公共の福祉」、あるいはこれに近い言葉を用いて、国家が国民の基本的人権を制限できるが如き主張もみられますが、それは誤解です。
憲法改正議論は、「戦争放棄」の9条が本丸だと思いますが、「公共の福祉」も曲解されると極めて危険な言葉になってしまいます。憲法の本当の心を知らない輩によって、ねじ曲げられて解釈されたら、「公共の福祉」という言葉によって、国民の基本的人権が国家機関によって、侵害されかねない危険性が大きいのです。このことを知ってもらいたいのです。
「国民主権」、「戦争放棄」、「基本的人権」は日本国憲法の3大原則です。この3大原則を壊すような内容の憲法改正はできないのです。
〈国家機関、国会に知ってもらいたい〉
最近、政治家、特に安倍政権の中で、憲法改正論が浮上していますが、憲法制定権者は国民であり、従って、憲法改正権者は国民であるとの認識が不足しているのではないかと思われるような言動に接することがあります。この点特に気になりますので、「そもそも国政は、国民の厳粛なる信託によるものであって、この権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民が享受する」という憲法の前文の一節を紹介します。
私は、平成18(2006)年11月30日に「田舎弁護士の大衆法律学――憲法の心――改正権者のあなたに知ってほしい」(発行所・本の森)という本を出しました。憲法改正権者は、国民であるということを強調したのですが、基本的人権と公共の福祉の関係を論じる上で、改めて「憲法改正権者は国民である」という前に「憲法制定権者は国民である」ということと、憲法第3章の「国民の権利及び義務」の各規定は国民の国家機関に対する命令部分と、国民の心構えの部分から成り立っている、つまり、国家機関は国民の基本的人権を絶対に侵してはならないという命令の部分と、国民は絶対的権利である国民の基本的人権を濫用してはならないし、公共の福祉のため利用しなければならない、という自らの心構えを宣言した部分から成り立っていることを知ってほしいのです。国家機関が、特に国会が、国民の基本的人権を法律で制限することなどできないことを知ってほしいのです。
憲法11条は、「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」と規定しながら、12条は「この憲法が保障する自由など権利は、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」と定めている真の意味をやっと理解できました。日本国憲法に「公共の福祉」という言葉が存在する意味が理解でき、「公共の福祉」は日本国憲法に存在することに納得できました。
先にも述べましたが、学者がどう言っているか、判例がどう言っているかなどは一時置いておいて、まず自分が納得できるかできないかを第1に考えたいと思います。主権者である国民一人一人が、それぞれ、憲法問題に直面したら、自分が納得できるか、できないかを真剣に考えてほしいのです。疑問を感じたら、調べたり、教えてもらったり、自分が理解できるまで考えて、このような法律や行政や裁判が、憲法の心に沿うものと、納得できるか、できないかの判断を下すべきです。
そのようなキッカケになればと、駄文を書き続けるつもりです。=この項終わり
(みのる法律事務所便り「的外」第323号から)
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