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 〈欲望によって知った、生きている実感〉

 以前も書きましたように、私は12時間の手術を受け、臨死体験をしました。病室にもどってからも2~3日は麻酔が残っていて、幻覚によって、実際には何もないのにあるように見えたり、小さな音が、雷が頭上に落ちてきたような轟音に聞こえたりする異常な状態で、生きているのか死んでいるのかさえ、はっきりと分かりませんでした。

 「ほしい」とか、「したい」という気持ちは、ほとんどありませんでした。生きる勢い、活力が衰えていたのです。欲望が弱くなっていました。「活力」と「欲望」は、一方が増えれば他方も増え、一方が減れば他方も減るという相関関係にあるようです。心と身体は密接不離なのです。まさに、「健全な精神は、健全な身体に宿る」です。

 手術の直後は 全身管に繋がれ、体に入るものも出るものも管を通すだけで、自分の意志とは関係ありません。知らないうちに入って、知らないうちに出ていくのです。「食べたい」とも、「出したい」とも思いませんでした。「不足を感じ、これを満足させようと望む心」など湧いてきませんでした。脈と呼吸は続いていましたが、これは「生きている」という状態とは言いがたい状況です。

 江戸時代前期の三河(愛知県)の禅僧・鈴木正三(1579-1655)は、人間の身体を「糞袋」と言ったそうです。随分乱暴な言い方ですが、10回に及ぶ手術を経て、「なるほど」と思うことがあります。自分の意志で食べたり、出したりしないで、管を通して自分の意志と関係なく入れたり出したりしている状態では、本来の糞袋ではなくなっている。健全な人間の姿ではなくなっているのです。

 江戸時代には、管で入れて、管で出してまで生かしておく方法はなかったでしょうから、「糞袋」でなくなることは死を意味したのではないでしょうか。医学の進歩の結果、現代は、本来の「糞袋」ではなくなっても、つまり管で入れ、管で出すようになっても生きてはいられます。ですが、それもほんの短い間なら我慢もできますが、そのような状態が長く続くことは耐えられそうにありません。生きている実感が湧いてきません。生きている実感は、欲望によって、知ることになります。


 〈甦った食欲、性欲、物欲・金銭欲〉

 手術から5~6日経ってから、わずかですが重湯を摂れるようになりました。さらに、3、4日でお粥になっていきました。管が少しずつ外されました。徐々に元気が出てきました。欲望が湧いてきました。本来の「糞袋」に戻ってきました。まず、大好物の鰻弁当が頭の中というか心の中というかは、はっきりしませんが、浮かぶようになりました。次に、女の人の裸体がちらつきました。この世に戻ってきたのです。その実感は、「食欲」と「性欲」という欲望によって知らされました。

 食欲と性欲は、人間だけにあるものではなく、犬や猫にもあるものです。死の淵から蘇り、まず犬や猫にもある欲望が戻ってきました。食欲と性欲は「動物的欲望」と言っていいものと思います。まず、食欲が甦ってきました。生まれて間もない赤子が母親のおっぱいを求めるのと同じだと実感しました。動物も生まれた直後からおっぱいを求めて動きます。これは誰かに教えられたものではなく、自然にできるのです。この点は人間も動物も同じです。

 「本能」とは「人間や動物が、考えたり計画したりすることなしに、行動したり反応したりする、生まれつきの傾向や能力」と角川必携国語辞典は解説していますが、まさにその本能が甦ってきたのです。

 赤ちゃんの時の記憶はありません。ですから、母親のおっぱいを本能的に求めたという覚えはありません。ですが、臨死体験をして徐々に元気を回復し、本能が甦ってきた時、「人間も、人間の前にまず動物なんだ」ということを実感しました。赤子が教えもしないのに乳を貪る本能を、60歳を超え、手術を受け、死の淵から蘇って実感しました。

 この本能から出てくる欲望は根源的、つまりものごとが起こるもととなる欲望です。まず、本能という、後述する「いなべんの欲望のピラミッド図」の最底辺部分が甦ってきました。この部分は、人も犬も猫も同じです。ですから、「動物的欲望」と表現していいと思います。この欲望は、動物なら生まれた時からある。人間も動物ですから、当然にあるのです。

 死の淵から蘇り、最初に「鰻弁当」が、次に「女の裸体」が浮かんだ体験によって、「人間は、『人格』とか『道徳』などとは言うが、人間も人間以前に動物なのだ」という印象が強烈に残りました。実感しました。人格や道徳の前に、食欲と性欲があります。「煩悩」、つまり「心身をなやますいっさいの欲望」は、人間的欲望が甦る前に、まず、動物的欲望が甦ってきました。病気で一時欲望がなくなったという状態を体験し、そこから欲望が甦ってきたという印象です。極めて貴重な体験による、極めて貴重な印象です。

 お粥も三分粥から五分粥と、ごはんに近くなってきました。「事務所のカネの支払いは大丈夫だろうか」と、カネのことが気になり出しました。物欲・金銭欲が甦ってきたのです。犬や猫が物を貯め込んでいる様子を見たことはありませんが、人間以外の生き物に物欲はあるのでしょうか。冬に備えて木の実を蓄える動物もいるようですが、食欲の延長上の行動ではないでしょうか。貯蓄などというものではないと思います。少なくとも財テクでないことはあきらかです。

 人間の持つ物欲・金銭欲は、動物的欲望である食欲、性欲よりもより人間的な欲望であり、後述する「いなべんの欲望のピラミッド図」の最底辺にある本能よりは上に位置しているように思えます。食欲、性欲の次は、この物欲・金銭欲が甦ってきました。「地獄の沙汰もカネ次第」という格言を思い出しました。この欲望は、食欲、性欲に次いで根源的であり、人間にとっては、基本的欲望と言えそうです。

 この物欲・金銭欲は、争いの原因となり、戦争の原因になってきたことは、間違いありません。他の欲望も無関係ではありませんが、戦争の最大の原因となる欲望は、この欲望なのです。

 (拙著「新・憲法の心 第21巻 戦争の放棄〈その21〉」から一部 抜粋)


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