司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 憲法改正は、まず、96条改正からということが、改憲を実現したい方々から、当たり前のようにいわれている。改憲に必要な衆参両院で各々3分の2以上の賛成と、国民投票で過半の賛成というハードル。安倍晋三首相は就任前から「戦後レジーム」の脱却はまず、この96条改正からで、「国民の半分以上が憲法を改正すべきだと思っているのに、3分の1を超える国会議員が反対したら改正できない現行憲法はおかしい」としており(2012年5月10日、mns産経ニュース)、2月15日に開かれた、政権交代後初となる自民党憲法改正推進本部の会合でも、同条見直しに優先的に取り組む意向を改めて示したとも伝えられている。

 しかし、今、われわれが向き合っているその論調は、なかなか越えられないハードルならば、下げればいいという発想そのもである。これをわれわれ国民は、基本的にどう受けとめるべきなのだろうか。

 確認しておかなければならないのは、この発想に立つことは、実は改憲派の敗北を意味しているということだ。憲法改正が、これからも国民の代表の3分の2以上の賛成をどうしても得られないとすること、それは取りも直さず、それだけの改正を後押しする世論の合意を得るのを断念することを意味する。ハードルを下げるということは、その敗北の事実を脇において、改憲を現実のものにしようとするものだ。

 国民は、まず、それでいいのか、ということを、むしろ自問しなければならないのではないか。つまり、日本国憲法の歴史に、権力者側が改正に都合のいい枠組みを作るなかで、初めての改正が実現した、という事実が、刻印されていのか、ということである。それを、いわば正統な私たちの憲法として、国民は認知するかという問題ということもできる。

 改憲について説得して賛成を得ることができないから、手続きを変えるというのは「邪道」と、改憲論者としての発言もしてきた憲法学者・小林節・慶応義塾大学教授は語っている(「現行憲法はぶっ壊れた中古車、説得力ある改憲案を」JB PRESS)。

 「本来、権力者を制限する、権力者を不自由にするのが憲法ですから、こんなことが許されたら憲法は要らないということになる。憲法は基本法であって、『硬性憲法』と言われるように簡単には改正できないものなんです」
 「96条を改正しようとしたら、良心的な法律家、憲法学者はみな反対するでしょう。身体を張って反対する。ここに宣言しますが、96条の改正は永遠にできないと思います。私はそういう企みが挫折する、してもらうように論陣を張ります。だって憲法が憲法じゃなくなっちゃうんですから」
 「説得力のある改憲案でハードルを越えてこそ、国民の意思として定着する。裏口入学みたいな改憲は、やったらダメです」

 「おしつけ」などと言って、あたかも日本国憲法の正統性を問題視するような見方を、改正の必要と結び付けて提示してきた改憲派が、もし、この手段をとるとすれば、その彼らこそ、実は、この憲法の正統性、なぜ、国民はこれを憲法と認めるのかというテーマを、ないがしろにすることになるのではないか。

 改憲を差し迫ったテーマとみていない世論を知りながら、権力者を拘束するはずの憲法が、権力者の手によって、都合よく、改正に導かれる。それ自体が、私たちの憲法を根本的に変質させるものであるということを、私たちがまず、自覚する必要がある。



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