司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>



 

 「陰謀論」という言葉が、近年、やたらに目や耳にするようになっている。いうまでもないが、ほとんど否定的、批判的な意味で登場する言葉である。不思議な感じもするが、隠された企みを指す「陰謀」の意味から考えれば、その「論」にあらかじめそれを対する否定的・批判的な意味合いを込めないで使われることもあってよさそうである。しかし、いまやこの言葉は、偏見や不十分な情報に基づく、いわば誤った思い込みの産物として、論者をたたく言葉として定着している。

 インターネット上には、こう烙印を押された「陰謀論」が溢れかえり、まるで人びとをかどわかすかのように、その「感染」が広がっているという見方があるが、同時にこの言葉とこの現象の正体や原因を分析する論調も溢れている。

 視野狭窄、誇大妄想、低リテラシー、「見たいものだけを見る」といった情報の都合のいい取捨、分析的思考能力の欠如によってデマに引きずられた結果といったものが、大方、その分析の結論である。

 確かにそうした論調が、この社会には存在しているし、それに感染し、引きずられる危険性を訴えることにも意味がある。しかし、今の社会の状況は、同時に別の危険性をはらんでいるように思えてならない。端的に言えば、すべての疑問視を、この「陰謀論」にカテゴライズしてしまう論調に引きずられる危険性である。

 「トンデモ」などという言い方もするが、どれもこれも「陰謀論」として片付ける、しかもその主な根拠が「多数説」「主流説」であることだけに基づくものであるとすれば、その論調にもまた、前記「陰謀論」批判の分析がそのまま当てはまってしまうからである。あらかじめ少数論に目を向けず、疑問視の芽を摘むことに、この言葉が使われる危うさも、この言葉が氾濫する状況には透けて見えるといわなければならない。

 「『ワクチン打った?』に私は気が重くなる…『正しい情報』が分からないから」

 こんなタイトルで、最近、西日本新聞が興味深い記事を流している。大分県内で「12歳以上」への新型コロナウイルスワクチン接種が進む状況の中で、子どもへの接種に疑問を投げ掛けるチラシを中学校の校門で配布した男性の話が出て来る。効果だけでなくリスクも伝えるべきだと悩んだ末の行動だったが、友人は離れ、周囲の目を気にして父親は嫌悪感を示すようになった、という。

 「ウイルスの存在を否定する荒唐無稽な『陰謀論』は信じていない。打つ人の判断も尊重している。それなのに、『ネットのデマに操られている』『非国民』といわれのない言葉を浴びせられる。リスクに対する慎重な姿勢が、国を挙げてワクチン接種を推奨する今の社会では、“変人扱い”されていると感じている」

 記事は、自分と似た意見をフォローする結果、SNS上で同様の意見が返って来る(反響する)「エコーチェンバー現象」にも言及している。信じた情報は確信に変わり、時に反対意見を敵視するという意味で、ワクチン「打つ」派、「打たない」派双方に当てはまる状況を記事は指摘するが、まさにそれは「陰謀論」を挟んだ関係そのものに置き換えられる。

 気になるのは、「陰謀論」扱いの、この言葉が都合よく利用されてしまう状況は、今、この社会で深刻化する「説明責任」が果たされない状況と一対のものに見えることだ。リテラシーを問題にしながら、説明を尽くさない対応は、とりもなおさず情報に対する疑問に徹底的に向き合わないものであり、反対論に向き合わないものである。それに「陰謀論」の烙印は、極めて都合がいい。この烙印そのものが、「トンデモ」として、まず多数の支持を形成してしまえば、既に反対論は少数派として、大衆が無視してくれる状況を生み出せるかもしれない。

 記事がいう「正しい情報」には辿りつけない。というか、多数派もしくは多数派とみられるものが「正しい情報」とされた時点で、納得できる十分な説明が尽くされなくても、疑問は焦げ付いたまま、声が挙げられなくなっていく。前記記事にも「非国民」という言葉が出て来るが、それこそ戦前の戦争に傾斜する日本社会のムードさえ、そこに被せたくなる。

 「陰謀」という本来の意味に立ち返れば、この「陰謀論」扱いが成立する状況は、まさに「陰謀」を貫徹する側に都合がいいものになる一面を持つ。「そんなことはあるわけがない」という蔑視によって、多くの大衆が疑問の旗を降ろしてくれれば、それほど有り難い「陰謀」遂行の状況はないからである。特により大きな目の前の「安心」「不安解消」が掲げられた時は、むしろこの社会でそれは容易いものになるかもしれない(「ゲーリングの言葉と『コロナ禍』日本」)。

 それは必ずしも、確信的な陰謀の遂行が目的化されていなくても、ミスや不作為によって、少数意見が省みられない結果を生む烙印でも同じである。何度もここで指摘しているが、「薬害」の歴史が、疑問に向き合わないことの恐ろしさを私たちに教えているはずだ。

 「陰謀論」扱いとともに、正当な、問われるべき疑問も排除されていく社会に、私たちは今、もう少し危機感を持つべきではないだろうか。

 

 

 



 



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