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 広島への原爆投下で、放射性物質を含む「黒い雨」を浴びた住民らの健康被害をめぐる訴訟で、全員を被爆者と認め、被爆者健康手帳の交付を命じた広島高裁判決に対し、当初の見通しから一転、国が上告を断念した。

 菅義偉首相が発表した談話には、「熟慮に熟慮を重ね」、「国の責任において援護するとの被爆者援護法の理念に立ち返って、その救済を図るべきであると考えるに至り」、「皆様、相当な高齢であられ、様々な病気も抱えておられ」、「一定の合理的根拠に基づいて、被爆者と認定することは可能」とする、その決断への「想い」がつづられている。

 しかし、その一方で、「原子爆弾の健康影響に関する過去の裁判例と整合しない点があるなど、重大な法律上の問題点があり、政府としては本来であれば受け入れ難いもの」「内部被曝の健康影響を、科学的な線量推計によらず、広く認めるべきとした点については、これまでの被爆者援護制度の考え方と相容れない」と注釈を付けた。

 この断り書きは、もちろん政府内の見解を正しく伝える意味も、論調の整合性を念頭に置いたものではあるだろうが、文脈としては別の効果もある。つまり、自らの政治決断の重みを最大限に伝える効果である。自治体から上告断念を求める声があったものの、現に政府内にあった「上告不可避論」を押し切っての最終決定は、まさに菅首相の「英断」であったとも伝えられている。

 だが、この「英断」が菅首相の前記「思い」だけから導かれたものと取る人は、もはやどれくらいいるのだろうか。コロナ対策の不手際や五輪強行で、世論の逆風を受け、支持率も低下している政権と、秋の衆院選を控えている状況が、この「英断」に反映したとみることは、極めて容易だからである。メディアの論調にも、異口同音にこの見方が示されているし、政府高官の見方として伝えるものもあった。

 司法判断による、時間のかかる決着を回避するという意味の「政治」決着といよりも、別の意味の「政治」的判断が事態を動かしたということになる。重ねられた首相の「熟慮」の中身は、前記「思い」と「注釈」をめぐるものだけではなかったはずだ。

 もっとも結論において、救済への道が開けたこと自体は、どういった政治力学が背景に働いていようとも、被害者にとっては歓迎すべきものとなるかもしれないし、そもそも「政治決断」とはそういうものということもできなくはない。それを引き出すことを含めて、運動論が語られるのも当然だし、過去にハンセン病訴訟での対応など、今回と同様に、国が問題点を指摘しながら、政権が政治的効果を狙ったように控訴を見送ったケースもある。

 ネット世論の反応をみると、政治的効果を織り込んだパフォーマンスだとしても、結果優先に評価する声の方が、やはり多いような印象を受ける。それも含めて、むしろ「政治決断」を引き出すことを考えるべきということで、別の言い方をすれば、談話にあるような「思い」が仮に建て前で、本物でなくてもいい、ととらえていることになる。

 そう考えることは、もちろんできる。ただ、どうしても引っかかるのは、ではそうした「英断」につながる、権力者側の政治的事情が、たまさか今回もなかったらば、被害者はどういう運命をたどったのかを考えてしまうからである。菅政権に逆風がなく、支持率が高く、来る選挙への不安がもしなかったら、談話の「思い」など今ごろ全く語られていない状況の理不尽さが過るのである。被害者は今でも、依然、救済の道を閉ざされたままかもしれないのだから。

 現に、この案件以外に数多くの、あくまで彼ら政治権力者の利につながる政治的事情がないために、「政治決断」など生まれない、見向きもされない案件の存在を想像してしまうのである。

 今回、選挙が脅威を与えたとすれば、それはある意味、民主主義として健全な形という評価の仕方もできるかもしれない。ただ、それを現状、世論と政治権力の力関係として、およそ過信してはならないはずだ。前記政権与党側にとっての選挙にマイナスの事情が、たまさか重なっているという状況であることを忘れてはならない。

 むしろ、これまでの経緯をみれば、政権は選挙を、というよりも、選挙に臨む国民世論を相当に侮っているととらえるべきだ。前政権からの数々説明責任放棄、圧倒的多数の世論に反する五輪強行(要は時間が立てば、あるいは五輪が開催すれば忘れてくれる論)をみても、前記過信は禁物である。

 政権の「思い」が虚構でも、政治的効果を引き出す運動論は必要かもしれない。ただ、彼らペースの「政治決断」の政治利用に振り回されず、常に選挙を挟んだ政権との緊張関係を、われわれが求めていく必要がある。



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