戦後67年が経過した今日、まさか大日本帝国憲法の「復活」が、取りざたされることになるとは思わなかった。東京都議会に提出され、10月4日に不採択となった「『日本国憲法』(占領憲法)と『皇室典範』(占領典範)に関する請願書」。
その要旨は、①、憲法、典範、拉致、領土、教育、原発問題などの解決のために必要な国家再生の基軸は原状回復論でなければならないことを公務員全員が自覚すべきであるとする②占領憲法(日本国憲法)が憲法としては無効であることを確認し、大日本帝国憲法が現存するとする③占領典範(皇室典範)の無効を確認し、明治典範その他の宮務法体系を復活させ、皇室に自治と自律を回復すべきであるとする――決議を求めるものである。
話題の中心は、土屋敬之議員の一人会派・「平成維新の会」(民主離党)と、野田数議員が所属する「東京維新の会」(民主・自民離党の3人)が賛成に回ったことだ。「東京維新の会」は、橋下徹・大阪市長の「日本維新の会」と連携し、9月に結成された都議会新会派。さすがに影響を懸念してか、メディアに対して、橋下市長も「憲法破棄(の立場)は取らない。大日本帝国憲法復活なんてマニアの中だけの話だ」と批判した(毎日新聞10月11日朝刊)と伝えられるが、「地方議会は維新八策のうち地方に関係することは100%賛同してもらわないといけないが、そうでない部分は政治家の自由行動だ」と述べ、連携に支障がないとの考えも示していたという(朝日新聞10月10日朝刊)。
もともとこうした請願・陳情が地方議会に提出されることはあるようだが、議員の紹介を通さず議会事務局へ直接提出される多くのケースは委員会で賛否を決定しない「審査未了」扱いとなるのに対し、今回は前記土屋・野田両氏が紹介議員となっていることから、注目される結果となったということもある。
今回の請願を、右翼や、橋下市長のいう「マニア」の、いわばトンデモと片付けることはできるし、むしろ、そうすべきという見方もできる。ただ、一方で、なぜ、今、こうした意見が飛び出してきたのかは、考えておく必要があるような気がする。
いうまでもないが、今回の請願は、いわゆる自主憲法制定も含めた、「改憲派」の主張とは異なる。現憲法の改正手続きによらず、無効確認によって、大日本帝国憲法が「現存する」として復活させようとするものである。彼らも引用するが、この立場で可決された自治体決議が存在する。1969年8月1日の岡山県奈義町議会の「大日本帝国憲法復原決議」である。
時代にそぐわなくなったことを理由とする改憲論とは異なり、自主憲法制定論もこの復活論も、現憲法を米国の「おしつけ憲法」として認めない立場では同じだが、今回の請願の立場は、復元させる、というところにこそ意味がある。少なくとも、現憲法を下敷きにしたものは、彼らの立場からすれば、いわば「敗北主義」にも位置付けられる。
この「復元」という考え方の、根本にあるのは、原状回復の強調である。つまり、今回の請願理由にもみられるが、日本国憲法が他国の不当な「干渉行為」の結果であるならば、原状回復こそが「普遍の条理」であるということだ。
実は、ここにこの請願が今日、登場する背景がある。拉致・北方領土・竹島問題。こうした問題へ社会の注目が集まり、さらにナショナリズム的な高揚感が高まる機運があることを、憲法を含めて、この原状回復論に傾斜させる好機ととらえる見方だ。そこには、新憲法ではなし得ないことを、旧憲法ならばなし得るという期待感につながる可能性も否定はできない。
もちろん、今回の請願理由は旧皇室典範が大日本帝国憲法と同列の国家の最高規範であるにもかからず、廃止し、同名称の法律を作ったのは「法令偽装の典型」と批判するとともに、「国民主権の占領憲法により、ご皇室の自治と自律を完全に奪い、国民を主人とし天皇を家来とする不敬不遜の極みである皇室弾圧法」などと、国民主権を完全に否定するものだ。この内容をみるだけでも、この請願が、どういう経緯にせよ、「審議未了」扱いにならず、議会に登場したこと自体、恐ろしいことではある。
ただ、それにとどまらず、前記した領土問題に加え、今、「戦後レジームからの脱却」を叫んだ政治家が再び台頭してきていることも含めて、現在の状況が、その「極北」としての今回の請願につながっている、あるいはこの請願が飛び出してくる現実こそ、日本の今を象徴している、とみるべきように思えてならない。