1961年に発生した、いわゆる「名張毒ぶどう酒事件」は、当時、「第二の帝銀事件」として騒がれたという。両事件の細かな状況はかなり異なるものの、薬物混入による大量殺害事件という共通性が、当時の人々の記憶のなかで結び付いたのだろう。しかし、その両事件が半世紀を経て、今度は司法が「犯人」とした死刑囚の「獄死」という結末でつながることになった。
1987年に95歳で死亡した帝銀事件の平沢貞通死刑囚は、死刑囚としての在監32年(全収容期間39年)。そして、10月4日に89歳で死亡した名張事件の奥西勝死刑囚は同43年(50年)。ともに再審請求が繰り返されるなか、長期にわたり執行の恐怖にさらされた高齢死刑囚の獄死である。
「当局は獄死させるつもりでいる」。かつて取材した帝銀事件の弁護人、遠藤誠弁護士がそうつぶやいたのを覚えている。17回の再審請求、人身保護請求、死刑の時効完成による国家賠償請求、恩赦出願、死刑執行停止国連人権委への申し立て。「せめて最期はシャバで」という多くの支援者の思いはことごとく退けられるなかで、同弁護士が感じとっていたのは、国家権力の壁であり、前記「意思」だった。
「獄死」によって、冤罪が疑われている事件の幕引きを図る――。もちろん、そんな意図や意思を司法が認めることは未来永劫無いだろう。しかし、この両事件のなかに、それを読みとる国民は果たして少数だろうか。帝銀事件の平沢死刑囚は、歴代法相が執行できなかった。奥西死刑囚については、一審・津地裁は無罪判決であり、第7次再審請求で名古屋高裁は再審開始を一度決定している。
日本は、司法が死刑囚の再審無罪を生み出した、深刻な前歴がある国である。両事件をめぐる司法・行政権力の対応のどこに、この厳然たる事実に対する深い反省に立ち、「疑わしきは被告人の利益に」という原則のうえに、まかり間違っても無辜を罰しないという、慎重で真摯な姿勢を読みとれるのだろうか。
司法が再審をなんとか阻止しようとしているように、国民に見えてしまうとすれば、それは前記重大な汚点を持つ司法の姿勢として、決定的に慎重さに欠いている、足りないととれるからにほかならない。そこにはとりもなおさず司法の権威、「無謬性」を守ることが最優先されている現実が読みとれてしまうのだ。まるで「冤罪を生まない」という課題が、真摯な反省に基づく前記原則の徹底化ではなく、いつのまにか「冤罪をなかったことにすればよし」という風に、歪んで読み変えられているかのように。
そして、両事件をみれば、そこに「獄死」の意味がはっきりと浮かびあがってくる。高齢の死刑囚に待っている宿命は、司法・行政権力の意図からは好都合な材料になる。繰り返すが、もちろんそれは真っ向から彼らに否定されるだろう。しかし、そこに彼らの目的を達成するための「意思」を読みとられる現実は存在する。ここにどれだけの国民が正義を読みとるだろうか。
10月5日付けの東京新聞社説は、この「獄死」を「司法の敗北」と括った。冤罪の疑いを消せないまま、奥西死刑囚を閉じ込め続け、「獄死」させてしまったということについてである。ただ、前記した「意思」まで読みとれる国民には、この現実を、まるで彼らの努力むなしい時間切れの結末のようにとれるだろうか。そこに「意思」まで読みとれる側からすれば、この結果は彼らにとって「勝利」でこそあれ、果たして「敗北」と受けとめることがあるのだろうか、と言いたくなる。
「国家権力というものは、その内部の恥部が外部にさらされそうになり、そのためにみずからの支配権力を維持することが危うくなったときには、その恥部を隠蔽するためにいかなる手段をも取り、そのために無実の人間を有実に仕立て上げることなどは何とも思わないとう本質を持っているものなのである」
かつて遠藤弁護士は、自著「帝銀事件と平沢貞通氏」で、こう喝破している。今回の「獄死」の事態から、再審請求審に検察審査会や裁判員制度のような、市民参加の制度の必要性をいう意見もある。ただ、その前にその制度のなかで私たちがゆめゆめ彼らの「共犯者」にさせられないためにも、この「獄死」からは、遠藤弁護士が語っているような大きな不信感を、まず、胸に刻む必要がある。