司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 裁判員経験者ら20人が2月17日、死刑執行を一時停止したうえで、死刑についての情報公開と国民的議論促進を求める要望書を、谷垣禎一法相に提出したことが報じられている(2月17日 msn産経ニュース)。報道によれば、彼らは死刑制度についても、まして死刑関与を市民に強制している裁判員制度についても、廃止の議論を求めているわけではなく、情報公開がされないまま、市民が関与する死刑判決が執行されることを問題視している。彼らの中には実際に死刑判決を出した3人や、死刑肯定派も含まれているという。

 

 要望のなかに「死刑を直視し議論する機会を国民に与えて欲しい」という一文があるとも報じられている。死刑制度も裁判員制度も存在は認めながら、裁判員に「壮絶な葛藤」と関与後は「重圧」を与えている制度について、議論する機会を与えよ、ということのようだ。

 

 「これまでは国家の判断による死刑だったが、これからは国民の判断による国民への死刑となる」

 

 要望には、彼らの基本的な認識を示す、こんな表現もあるという。裁判員制度推進派からいわせれば、裁判に直接国民を強制的に動員させた効果としての、「統治客体意識」から脱却した意識の目覚め、ということになるのだろうか。もし、そうだとするならば、裁判員制度を推進した側は、当然、この要望を歓迎し、それを真正面から受けとめて、この死刑執行の一時停止要望を支持して然るべきようにも思える。

 

 ただ、問題は、むしろそうならない場合だ。つまり、残念ながら、このまま死刑制度の情報公開はされず、国民的議論もないまま、死刑は執行され続け、一方、「壮絶な葛藤」とその後の「重圧」を参加市民に与え続けながら、死刑判決関与を強制する裁判員制度が続く場合である。

 

 現段階では、そうした仮定に立っていないというのが、あるいは要望している市民側の考えかもしれない。しかし、もしそうなった場合、彼らは、指摘するような実害を市民に与え続けている裁判員制度、少なくともその死刑関与の部分について、一時停止を求め、今度は裁判員制度について国民的議論の促進を求めるのだろうか。

 

 死刑判決に関与したために急性ストレス障害になった元裁判員による国賠訴訟が、福島地裁郡山支部で行われているが、配慮ではなく、制度自体の無理を訴えている立場と、今回の要望書提出者の立場は、現在は違うように見えるが、この要望が現実化しなかった場合、彼らが合流することはあるのだろうか。

 

 実は、これは実際に死刑に関与を強制される司法参加市民だけの問題ではない。ある気になるアンケート結果がある。市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」(東京)が2009年に行った元裁判官に対して行ったアンケート結果である。

 

 回答に応じた106人のうち、82%に当たる87人が「刑事裁判で誤判は避けられない」として、45%が誤判の恐れなどを理由に死刑制度に反対。一方、裁判員制度について61%が「アマチュアには無理」として反対し、さらに死刑制度に賛成した人の87%が裁判員制度に反対したのだった。

 

 この結果が示していることは明らかだ。参加を強制されている市民からすれば、突然呼び付けられた市民と、訓練と職業的自覚のもとに臨む裁判官との違いを当然、考えることになるが、こと「誤判」という観点でみれば、半数近い元裁判官が死刑誤判の恐れを意識していた、という事実。それは、死刑制度の一時停止や情報公開が、「素人」「プロ」に関係なく、刑の妥当性判断には必要であることと同時に、そもそも両者に関係なく、たとえプロであっても、「誤判」のリスクが消えない死刑制度の存在を浮かび上がらせる。そして、「プロ」の立場からみても、多くの人は、その点では裁判員制度は活路ではない。つまり、市民が参加する制度によって、死刑の誤判が回避できるとも、市民ならば大丈夫、とも思っていないということである。

 

 前記要望に反して、このままの状態で、死刑制度と裁判員制度が継続される未来は、司法参加を強制される市民に「壮絶な葛藤」とその後の「重圧」を背負わせ続けるとともに、死刑誤判と市民がその共犯者になるリスクが延々と消えない未来ということになる。

 

 既に裁判員裁判での死刑判決20件、関与市民は約200人。二つの制度を見る目線を、私たちは改めて考えるべきときにきているように思える。



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