Deutschland über alles,über alles in der weld(ドイツ、世界に冠たるドイツ)
これは、第二次大戦後、ドイツ人自らが捨てることを選択した旧ドイツ国家の冒頭の一節である。
ドイツは1952年、民主国家にふさわしくない歌詞を含む国家の1番、2番を廃止、「統一・正義・自由」を歌った3番を国家と規定し、東西統一後の1991年11月に正式に統一ドイツ国家として定めている。
メロディは旧国家のままである。作曲者はヨゼフ・ハイドン。ナポレオンの侵攻に苦しむ祖国オーストリアのため、彼はオーストリア皇帝の礼賛歌として作曲し、1979年に発表した。ドイツ国家は、いわばその替え歌で、1841年にホフマン・フォン・ファラースレーベンが作詞したといわれている。
その雄大な曲調とともに、冒頭引用のフレーズは、敗戦までドイツ国民の中でも親しまれてきたものだったが、ナチス政権の崩壊とともに、ドイツ国民はそれを封印したのであった。
ちなみにドイツは同様の論理で、占領地にたなびいた「ハーケンクロイツ」を廃止、同じ敗戦国のイタリアは国旗、国歌とも変更した。
「君が代は、今の日本の民主国家のありようにそぐわない。新国歌に変更すべきではないか」
1997年1月、当時の橋本大次郎・高知県知事が、ある集会でこんな羽っ言をして話題となった。確かに「君が代は千代に八千代に」は、主権在民国家としてはおかしな感じがする。実は、こうした指摘は敗戦後の日本にもあり、中には曲はそのままで、歌詞を「民が代」に変えるという珍案もあったという。
しかし、橋本知事の発言の2年後、国旗・国歌法の施行で、日章旗は国旗に、君が代は国歌に正式に決まった。当時の議論の一つの問題は、これを法制化することの是非と、そもそもこれらを国旗・国歌にすべきなのかという議論が混在してしまっていることだった。
国民の多数の支持・容認での選択という視点が強調されるなか、「親しまれている」と、「ふさわしい」ということが別問題であること、民主国家としてふさわしくないものを親しまれているという現状だけで、維持することが、果たして正しい選択なのか、という議論が煮詰まることはなかった。それは、親しまれていても、ファシズムの手あかがついたものを、ばっさりと切り捨てたドイツのやり方との違いは明らかであった。
大阪府の公立学校の教職員に君が代の起立斉唱を義務付ける条例の成立、起立斉唱を命じる職務命令をめぐる最高裁の3つの小法廷の「合憲」判断と、国旗・国歌法施行から12年、にわかに「強制」という観点から、日の丸・君が代問題がクローズアップされている。
今の議論は、一見、この問題が積み残している「ふさわしさ」の点とは、違う観点のように見えるが、実はそうではない。最高裁で見解を示した形になる14裁判官のうち、反対意見を述べた2裁判官のうち1人、宮川光治裁判官のそれのなかに、もっとも問題の本質を明らかにした一節がある。
「多数意見は起立斉唱行為を一般的、客観的な視点、いわば多数者の視点で評価している。およそ、精神的自由権に関する問題を多数者の観点からのみ考えることは相当ではない」
精神的自由権の優位性をいう指摘であるが、実は、このなかに前記問題が含まれている。戦争が遠くなり、多数の人間が、それなりにこの国歌に「親しんでいる」状況ができつつあるなかで、「ふさわしくない」「ふさわしいとはおもえない」という信条を持つものもまた、少数者として返りみられなく現実である。もちろん、強制は、個人の信条からくる、それにふさわしい表現そのものを許さない。
朝日新聞6月28日のオピニオン面には、新たに繰り返しの違反に懲戒免職を科す条例提案を検討している橋下徹・大阪府知事と、国旗・国歌法成立時、小渕内閣の官房長官を務めていた野中広務氏の対論が掲載されている。
このなかで、野中氏は、国旗・国歌の教育に肯定的な立場からも、その「強制」に対し、強い否定的見解を示している。日の丸・君が代が使われた戦時中の体験から、「あの時代に強く裏切られたと思う者の中には、日の丸・君が代に対して負の感情を抱く人もいる」ことを指摘し、ナショナリズムと結び付きやすいポピュリズムへも警鐘をならしている。
彼の考えは「強制」を伴わずに、シンボルとして自然に浸透することを期待する立場であるが、戦争が遠くなり、体験からそれを「ふさわしくない」と思う日本人が圧倒的に少数になっても、その気持ちを引き継ぎ、自らの信条として次の世代が、「ふさわしくない」ということにこだわることは、むしろ自然であるとともに、そこに意味もあることだ。
「ふさわしくない」という疑いがあるものを「強制」している事実、そういう存在と思えるからこそ、拒否の姿勢を示している事実。日の丸・君が代がはらみ、積み残し続けている問題を、時代とともに風化させないために、そのこともはっきりと示していく必要がある。