司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

〈自制力を失った最高裁〉

 

しかし、最高裁はそのような司法府としての自制的行為はとらず、それ以後、今なお、ホームページ等で裁判員制度について肯定的文言、シンボルマーク、映像の使用を続けている。私の住む仙台では裁判所構内に今なお「裁判員、ともに」という市民への呼びかけの看板が立っている。

 

これまでの間において竹﨑長官は、前記弁護人が指摘したように、裁判員制度について、礼賛とまでは言えないかも知れないけれどもこれを積極的に評価し、「改善を重ねて理想的な姿に近づけていくという地道な作業が必要」などと発言(週刊法律新聞2010年1月1日号)しているものであり、前述の最高裁長官就任の経緯から明らかなように裁判員制度の申し子のような形で就任したものであることからすれば、前記弁護人が述べたとおり裁判員裁判の支持者であったことは間違いない。因みに、この長官の発言は先の大法廷合憲判決の蛇足意見と同趣旨である。

 

 

〈「司法行政事務」の担当と裁判への関与〉

 

前記決定の理由中に、これら竹﨑長官の言動は「最高裁判所の司法行政事務を総括する立場において、司法行政事務として関与したもの」との表現がある。

 

しかし、司法は、民事・刑事・行政を問わず、過去に生じた事件について、その事実関係を認定し、法令を適用することが本来の使命である。規則制定も司法行政事務も、その司法権の円滑、適正な行為に必要な範囲で行使されるべきものである。

 

「司法行政とは、司法裁判権の行使、裁判制度の運営を適正かつ円滑に行わせるとともに、裁判官その他裁判所に属する職責を監督する行政作用をいう。司法行政は、一般の行政作用と異なり、裁判所がその本来の使命たる司法裁判権行使の目的を達成するために必要な人的、物的の機構を供給維持し、事務の合理的、効率的な運用をはかる等、いわゆるハウスキーピング的な事務を主たる内容としているが、司法裁判権の行使と密接な関連を有し、実際上これに影響を与える可能性をはらんでいる点に特質を有するものということができよう。そこで、司法権の独立をできるかぎり確実なゆらぐことのないものとする目的から、司法行政権は、司法裁判権行使の機関たる裁判所そのものの権限とされたものである」(最高裁事務総局編「裁判所法逐条解説(法曹会)上巻」p101)。

 

つまり、司法行政は、他の行政機関に任せたのでは司法権の独立に支障をきたす可能性のある、あくまでも裁判所内部に関する行政事務をいう。

 

 

〈宣伝・広報の推進は本来司法行政事務外のこと〉

 

裁判員制度の宣伝広報は本来の司法行政事務ではない。裁判員法付則2条1項に規定された行為は、最高裁に課された期限付の特殊な事務であって、それ自体立法内容として憲法上疑義のあるものである(前掲拙著p37)。

 

最高裁が裁判員制度のPRに使うシンボルマークの意味は「無限大」を示す符号をベースにした裁判官と裁判員との協働行為の無限の可能性を示すものだという。

 

ホームページの映像を開けば、裁判員経験者による裁判員裁判が良い経験であったとの報告の連続、裁判員を経験して不愉快な思いをしたとか具合が悪くなったとかいう場面は少しも出てこない。裁判員制度を推奨する事実を伝えるものだけの正に宣伝行為である。「個人の感想です」と断り書きを入れながら、効用のみを説くサプリメントのCMみたいなものである。

 

最高裁は上述のとおり制度施行後もその広報宣伝を止めない。裁判員経験者による「良い経験」との言葉を並べて、制度は順調或いは概ね順調に運営されているという。本来の司法行政事務から踏み出した裁判員制度推進活動は、最高裁判所全体及びその長たる竹﨑長官のとってきた行為である。



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