〈刑事上訴審事実審査基準の変化〉
一小判決が述べる「このことは裁判員制度の導入を契機として、第一審において直接主義、口頭主義が徹底された状況においてはより強く妥当する」との判示、白木裁判官の前記「しかし、裁判員制度施行後はそのような判断手法は改める必要がある」との意見から明らかなように、この控訴審における審査の手法に関する最高裁の判断の変更つまり心証比較説から論理則、経験則違反具体的明示説への変化は、裁判員制度の施行を強く意識したものであることは間違いがない。
刑事上訴審の事実審査の有り方について、事後審(査)という講学上の言葉を、不動、唯一の固定概念のように受け止め、それゆえに審査の枠、方法、質を限定することは刑事訴訟の正しい有り方とは考えられない。刑事訴訟は、刑事訴訟法1条が法律の目的として規定しているように「刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする」ものであり、控訴審に関する法令についてもその目的に常に適合するように解釈されなければならないことは当然である。
刑事控訴審の事実審査の有り方について、諸説ありながら、大方のこれまでの実務の運用が前述のように「事後審を意識しながらも自らの心証を形成させそれと一審のそれとを比較し、そこに差異があれば自らの心証に従って一審判決を変更する」という弾力的なものであり、その運用が「当事者の意向にも合致」していたのは、かかる運用が前述の刑事訴訟の目的に適うと考えられて来たからである。
一小判決の判示する「論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要である」とは言っても、もともとその論理則、経験則というものは「人間の生活体験から帰納的に得られる合理的法則であって、それぞれその確実性の程度を異にしている」ばかりではなく、「法則の存在及びその確実性の程度いかんについても裁判官の合理的判断に委ねられている」(船田三雄「刑事控訴審における事実審査」判例時報1311号p19)ものである。
ところが、一小判決は、これまでのかかる刑事控訴審の審査の有り方は許されない、一審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示さなければならない、単なる心証比較論ではいけない、それは、一審において直接主義・口頭主義の原則が採られ、争点に関する証人を直接調べ、その際の証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され、それらを総合して事実認定が行われることが予定されているからであり、このことは裁判員制度の導入を契機として、第一審において直接主義・口頭主義が徹底された状況においてはより強く妥当するという。
〈事実審査変更の根拠に正当性はあるか〉
この理由は、果たしてこれまで刑事控訴審の事実審査の方式を変える根拠として正当性があるであろうか。これまでも一審では直接証人の取調べを行い、その供述態度、発生の抑揚、表情、間合いなど、必ずしも記録に表れない、或いは表しにくい部分をも加味してその供述内容を把握し、事実認定が行われて来た。
その事実認定を行う者は、控訴審担当裁判官と同様に高度の法律知識を持ち訓練を受けた経験豊かな職業裁判官であった。それでもその裁判官の事実認定について、控訴審裁判官は、記録に基づき、原則不服申立ての範囲内とはいえ、独自に心証を形成し、下級審の認定事実と異なる認定に到達したときには原判決を破棄し、差戻し或いは自判して来た。
そのことは最高裁においても承認され、前述のとおり最高裁自身が法律審、事後審であることを意識しながら記録に基づいて心証を形成する作業を行って来た。
一小判決がここに至って論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示さなければ、控訴審裁判所は一審判決の認定を覆すことは許されないと判示したのは、裁判員制度が施行されたこと、本件一審判決が裁判員裁判によるものであったからであることは明らかと言える。
この一小判決、特に白木補足意見はいわゆるラフジャスティス、アバウト裁判の容認と解されるものであるところ、それは今回の裁判員法制定に際して刑事訴訟法1条には何ら手が加えられなかったことを踏まえれば、刑事訴訟法上到底容認し得ない意見である。