〈最高裁の政治的発言〉
判決は、末尾第4項で、「裁判員制度は司法の国民的基盤の強化を目的とするものであるが、それは国民の視点や感覚と法曹の専門性とが常に交流することによって相互の理解を深め、それぞれの長所が生かされるような刑事裁判の実現を目指すものということができる・・・長期的視点に立った努力の積み重ねによって我が国の実情に最も適した国民の司法参加の制度を実現していくことができるものと考えられる」と判示する。
この判示は、裁判員制度を違憲と主張する上告理由に対する憲法判断とは全く関係のないいわゆる蛇足であるが、極めて重要な記述と考える。それは、最高裁の、裁判員制度の定着と発展に対する並々ならぬ意欲、つまり国家の政策目的実現を目指す政治的発言そのものだからである。
竹崎博允最高裁長官は2009年年頭の所感において「法曹三者がそれぞれの立場で国民と接することにより制度の目指した刑事裁判が実現されるよう努めていく必要があると思います。一つの新しい司法文化を創るといっても過言ではない大きな制度です」(週刊法律新聞2009年1月1日号)と、制度発展への意気込みを示している。
私は、以前、裁判員制度の広報に関する最高裁の活動は問題であり、「私たち国民が最高裁を頂点とする司法機関に望む最大のものは、行政、立法機関とは常に距離を置き、常に批判的立場に立って、国民の権利を守ることに徹することである。最高裁が行政機関と同様の宣伝広報活動に力を貸すことはその本来の使命に反する」と述べた(週刊法律新聞2007年9月14日号)。
しかし、その後も最高裁は大々的に裁判員制度の宣伝広報活動を続けて来た。最高裁長官に制度推進派の竹崎東京高裁長官が一足飛びで就任したこと、制度推進の立場をとる日弁連から推薦された裁判官は、その日弁連の方針に反する意見は述べにくいことなどからすれば、竹崎長官のような意見を述べる者が多数最高裁裁判官に就任することは火を見るよりも明らかなことであった。
今回の判決に加わった15名の裁判官は、いずれも裁判員法が成立した以後に最高裁裁判官に就任したものである。冒頭に今回の判決の結論は予想されたものであり何ら驚くには当たらないと記したのは、以上の状況の認識があったからである。
〈近代憲法の精神を否定〉
江戸時代までの裁判は、行政の一部門が担当し、三権分立も司法権の独立もなかった。帝国憲法になって、現在とは比較にならない弱い裁判官の身分保障の下で(同憲法58条2項)、司法には大津事件における裁判のような行政と対峙する確固とした司法権独立の歴史が生まれた。
しかし、今回の判決は、憲法が司法に対し裁判官の独立と違憲立法審査権とを明文をもって保障しているのに、その地位と権限を放棄し、立法行政機関に追随する結果を招いた。それは明らかに三権分立を定める近代憲法の精神を自ら否定したものと評さざるを得ない。まさに江戸時代以前への逆行である。
裁判員制度は、司法の国民的基盤の強化などというものではなく、人権を無視しても国民を強制的に国策に服させる国家主義の表れ以外の何ものでもないのに、最高裁は行政と一体になり、国民の司法参加という一見民主的に見える表現を活用して、その目的を達しようとしたものである。
ここまで判決を検討して来て思うことは、誠に信じ難いことではあるが、最高裁は裁判員制度を初めから合憲と結論付けるために、巧妙に論法を組み立て、国民の目を欺こうとしたのではないかという疑いが残ることである。
私は、この判決について先に希代の迷判決という過激な言葉を用いた。しかし、ここにもう一つ付け加えたい。この判決は、司法のあるべき姿を瓦解させこの国を暗黒の世界へ導く導き手だということを。=このシリーズ終わり