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 〈参加率データの示すもの〉

 

 ところで、上記の参加率に関する調査結果を見て、制度の肯定、否定の立場を超えて上記の仮説として取り上げられた事項を思い浮かべた人は如何ほどいたであろうか。

 

 裁判員候補者を、衆議院議員選挙権を有する者から無作為抽出し、抽出された者には原則として裁判員となる義務を課すことを骨格とする裁判員制度の趣旨が、「国民すべてが等しく司法に参加する機会が与えられ、かつその責任を負うべきであること」「その実効性を確保すべき」こと(司法審意見書)からすれば、参加率の低下、特に無断欠席が増大傾向にあるというデータの示すものは、裁判員制度は国民参加の実効性を確保し得ず既に破綻していることを示していると捉えこそすれ、とても前記の仮説に思い至る人は少ないのではなかろうか。

 

 この調査に表れたデータは決して意外なものではない。司法審が裁判員の出頭義務を提案し、その立法化に際しては、義務化しなければ、裁判員となる者を確保し得ず、裁判員は物好き、日当稼ぎなどに偏ってしまうことが予想され、それ故に不出頭防止、参加者の均質性確保の手段として過料の制裁という措置を講じた筈だったのに、法施行後この方、不出頭者に対し一度も過料の制裁が課されたことはなく、剰え、例の裁判員制度大法廷判決(2011年11月16日)が、上告趣意にはなかったから本来は判示すべきではなかった憲法18条と国民が裁判員となることの負担との関係について「裁判員の職務等は、司法権の行使に対する国民の参加という点で参政権と同様の権限を国民に付与するものであり」と態々判示し、国民が裁判員となることが「義務」であるとか、「強制」だなどという言葉を一切使わなかったことにより、参加率について低下傾向が続いている、つまり制度の「実効」が上からないことは至極当然のことであった。

 

 今回の参加率のデータが示すものは、今回のような仮説を立ててその原因を探求すべきことではなく、元々国民の与り知らないところで全く民意には関係なく「司法への国民参加」という、いかにも民主的らしい耳当りの良い言葉に流されて国会では慎重な審議をすることなく裁判員法を成立させてしまったこと、予定されていた過料の制裁という義務化の実効手段の行使もなく、前述のように最高裁が実効手段行使の論拠を自ら放棄したことに起因していることはまず間違いがない。予想されていた結果が現実のものになったというだけのことである。

 

 

 〈今後の対応は如何に〉

 

 もとより、このように言うことは、制度の原点に立ち返って無断不出頭者に対してはびしびしと過料の制裁を課せというのでは決してない。

 

 裁判員法案は、国会審議の過程で野沢法務大臣が説明しているように「現在の裁判は基本的には国民の信頼を得ているもの」との状況認識の下に提出されたものであり、既に司法への国民参加制度のある諸外国とは異なり、国民の湧き上る司法制度変革の声に押されて出来上がったものではない。その点では、本来立法は民意の反映であるべきとの民主政治の本来のあり方からすれば、明らかに非民主的なものである。

 

 立案者自身が自白しているように、そもそもこの制度は国民に対し義務化しなければ実効性を確保し得ないものであるのに、その義務化を裁判所はさすがに正当なこととは解しえず、運用上実行できなかったのである。国民の参加率の低調は当然のことであった

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