〈最高裁が以前に疑義を呈した国民参加の問題〉
これまでにも何度も取り上げ、また、西野喜一新潟大学名誉教授(最近では「さらば裁判員制度」ミネルヴァ書房p131)等によっても指摘されている、司法制度改革審議会第30回会議で当時の最高裁中山総務局長が説明した、大方の裁判官の意見をまとめた「国民の司法参加に関する裁判所の意見」なるペーパーに記載の「参審制について憲法上の疑義を生じさせないためには、評決権を持たない参審制という独自の制度が考えられよう」とされたことについては、その真の憲法上の疑義なるものの内容は不明であるが、弁護人が「最も単純で明快な問題」と述べたこの裁判担当者の任命方法を定める憲法80条1項に関する違憲性が、その疑義の最大のものであったのではないかと推察される。
大法廷判決は、何故に、弁護人の上告趣意をこのように歪めて捉え、正しい上告趣意に対する判断を怠ったのであろうか。
以下の考察は、その理由を探る一つの作業である。
〈憲法80条1項の裁判官の解釈〉
最高裁として、かかる弁護人の上告趣意を正しく捉えた場合に、本来どのように対応すべきであったであろうか。
まず、憲法80条1項に定める「下級裁判所裁判官」とはいかなるものかから検討すべきであったと考える。私は、以前、宮澤俊義教授が説かれるように(コンメンタール「日本国憲法」p603)、憲法第6章に定める「裁判官」は「裁判所を構成する者」と解するのが正当である旨主張してきた(司法ウォッチ「裁判員制度は国民主権の実質化か?」2014.9.1)。
憲法76条3項の「裁判官」について、詳解日本国憲法(下巻p1137)も同様に「裁判官は、裁判所において裁判を担当する職員である。書記官、執行吏、又は専ら司法行政事務を担当する職員と区別される。」と指摘する。憲法第6章記載の「裁判官」は、裁判を担当する者という意味であって、宮澤教授も説くように、下位法である裁判所法が定める裁判官という名称のものを指すものではない。裁判を担当する者、つまり司法という国家の機能を実際に担当すべき者を、国家はどのようなものから選任すべきか、どのように遇するか、どのような名称を付すか、下級裁判所をどのような組織のものと定めるかは全て法律に委ね、ただ、基本的要件として、その下級裁判所の裁判担当者について、任命権者、任期、定年、報酬について枠をはめたものである。
それ故、この憲法の定めた枠の中で、法律として下級裁判所裁判担当者について、その資格、名称等も定められなければならないということである。帝国憲法の呼称する「裁判官」が天皇の任命する官職であり、それに慣れ親しんできたがために、下位法である裁判所法が用いている裁判官という用語を、憲法第6章で用いられている裁判官という用語と同じものと解してしまっている。これは、原審も上告審検察官も同様であったと思われるが、それは誤りである。
しかし、前述のように、憲法第6章に定める裁判官は裁判担当者という意味の用語であって、宮澤教授も説くように、法律がその裁判担当者の呼称を「裁判人」とか「裁判員」と称しても一向に差し支えないものである。仮に憲法が「裁判官」という用語の部分を「裁判員」と表示していたら今回のような判断に到達したであろうか。憲法80条1項はその裁判担当者、つまり国家の司法権の行使者として国民に奉仕すべきものは、全て同条項に定める任命手続を経たものでなければならないということである。