司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈裁判形式変更に膨大な時間をかけた英国〉

 

 裁判員制度は、戦後最大の刑事司法改革と言えるものであることは前述した。その制度は、原則「国民皆兵」ならぬ「国民皆裁判員」を謳うものであり、それが国民の基本的人権に直結するものであることは、その法律案を一読すれば誰にでも分かることである。つまり、国会議員を選んだ選挙母体一人一人に関係があることは一目瞭然であるばかりではなく、全議員は、議員を辞すれば、原則自らも裁判員となる義務を負うことになる内容のものであるから、少なくともこの法案については自分の肩にも諸にかかってくることと重く受け止め、深く思考し、他と議論し、調査費を使ってでも専門家の意見を徴するなどの努力をするべきであった。

 
 しかし、裁判員法は、前述のとおり両院併せて実質12日間の委員会審査が行われ、衆議院では全会一致、参議院では2人の反対者はいたが、圧倒的多数の賛成で成立してしまった。

 
 因みに、陪審裁判の母国イギリスにおける或る立法のエピソードを記そう。同国では1983年にロスキル委員会が設置され、同委員会は、それまで陪審審理の対象とされていた複雑な詐欺事件についてはこれを陪審対象事件から外して裁判官1名と非法律家2名からなる特別法廷の新設を勧告した。1987年、その勧告は直ちには採用されず要検討とされた。

 

 一方、1998年2月内務省は重大刑事事件の陪審審理廃止を視野に入れた意見を公表した。そればかりではなく、内務省は選択的審理方式犯罪(治安判事が訴追側及び被告人側の見解を聴取した後、正式起訴犯罪とするか略式起訴犯罪として審理するかを決定し得る犯罪)について被告人の選択権廃止(陪審裁判を受ける権利を制限すること)を定める法案を議会に提出した。

 

 この法案は多くの批判を浴びて廃案となったが、その後紆余曲折を経て2003年11月20日刑事司法法案として形を変えて成立した。その刑事司法法案の主たる内容は、前述の詐欺事件を含む重大事件を、陪審を要しない事件と定めるものである。その件について庶民院の常任委員会は32回に亘って審議している。

 

 被告人の陪審裁判を受ける権利が強固な国とはいえ、その権利を制限するために、実に20年越しの議論を重ね、最終の審査の段階でも32回もの審議を重ねている事実は、我が国の戦後最大の刑事司法改革である裁判員法案の審議の有り方と比較すると極端なまでの差を見せつけられているように思う(棒剛「イギリスにおける陪審制批判の系譜」「刑事司法への市民参加」(現代人文社)p149以下による)。

 

 それは、民主政治の成熟度の差の表れとでも言えようか。ここで言いたいことは、その刑事司法法案の内容(我が国の選択権の議論とは真逆)の是非ではなく、従来の原則的裁判形式を変更しようとする場合に、立法者はいかに膨大な時間とエネルギーを傾注するものかということであり、我が国の国会審議の有り方は、それに比すれば余りにお粗末過ぎはしなかったかということである。

 

 

 〈改正法案提案理由の疑問〉

 
 前述のとおり、この改正法案の提案理由には、裁判員法附則9条の規定に基づいて、政府が「この法律の施行の状況について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて(裁判員制度が)我が国の司法制度の基盤としての役割を十全に果たすことができるよう、所要の措置を講ずるものとする」と規定していることに鑑み、その制度の検討結果に基づいて提案する旨の文言はない。

 

 穿ち過ぎなのかも知れないけれども、私はここに提案者の巧妙な作為が感じられる。今回の提案理由は、一般の改正法案同様に、裁判員法案の運用上、このような改正が必要だからその案に不都合があるか否かのみを審議して欲しいと言っているように見える。その附則9条が「我が国の司法制度の基盤としての役割を十全に果たすことができるよう」と定めているからと言って、どう改めても十全な役割を果たしえないときには、改正しなくても良いなどと解するものではあるまい。もし、検討の結果、どう改正しても十全の役割を果たし得ないとの結論に至った場合にはその廃止を提案すべきが政府の務めであろう。

 
 しかし、この改正法案が国会に提出されるに至ったのは、提案理由にどのように記載されているかにかかわらず、裁判員法附則9条に基づく施行3年経過後の政府の検討義務の結果であることには違いはないから、国会は、単に政府が国会に提出した法案の当不当を審議するだけではその職責を果たしたことにはならない。国会は、その提案理由には表れていない、政府の検討の内容を糺し、そこに制度検討としての落ち度や問題がないかについて徹底的に審議をし、政府に対する国会の監視機能を十全に果たすことが求められるというべきである。決して政府の巧妙な提案理由に惑わされてはならない。

 
 重複するが、今回明らかにされた提案理由が政府の提示したものであるのと、裁判員法附則9条に定める政府の制度検討義務の結果としての提案であるということとは、国会審議上大きな違いがある。政府の制度検討義務の結果としての提案であれば、その検討の対象事項、検討の資料、検討の方法(単なる検討会内だけのものか、広く国民各層の意見を徴したかなど)も国会審議の対象となり、その上で、政府提出の改正法案がベストのものか、追加の変更を要するかの検討に入ることになる。



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