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 〈被告人の意向に関係なく進む裁判員裁判〉

 これまで私は、裁判員制度は刑事司法の本来のあるべき姿に反するものであり、憲法の認めないものであるとの立場から、被告人の裁判員裁判の辞退権或いは制度選択権と言われるもの(以下「選択権」という)について論じることはしなかった。選択権を論じる或いは認めることは、裁判員制度の存在を容認することであり、それは裁判員制度全否定という私の立場とは矛盾すると考えていたからである。

 裁判員制度について2011年11月16日最高裁大法廷が全員一致で合憲判決(判例時報2136号)を下したとは言っても、その判決は到底容認し得ない内容のものであり(拙稿「最高裁の裁判員制度合憲判決を批判する」ウェブサイト「司法ウォッチ」に2012年6月から9月まで8回に亘りその理由を詳述した)、現在でも裁判員制度を容認するものではないが、最高裁第二小法廷は2012年1月13日裁判員法が被告人の裁判員裁判選択権を否定していることについて合憲判断を示し(判例時報2143号p144)、曲がりなりにも運営されている裁判員裁判を、被告人の意向とは関係なしに、さらに推し進めようとしていることは、刑事裁判の本質にかかわる重大な問題ではないか、また、仮に裁判員制度が合憲の制度だとしても、我が国の殆どの法律判断が裁判官によってなされており、また、戦後これまでは今回裁判員裁判対象事件とされた犯罪類型についても裁判官裁判によってなされてきたことを考えれば、この段階で突如その対象事件が裁判官裁判によらず裁判員裁判のみによることとすることは、裁判員制度そのものの憲法問題とは別個の憲法問題として検討されるべき問題ではないかと考えて、以下に論ずることとした。

 〈憲法問題として論じなかった司法審〉 

 ◎制度選択権をめぐる意見
 ○司法制度改革審議会(以下「司法審」という)意見書Ⅵ、第1⑶は、「被告人が裁判官と裁判員で構成される裁判体による裁判を辞退することは、認めないこととするべきである」とし、その理由は「新たな参加制度は、個々の被告人のためというよりは、国民一般にとって、あるいは裁判制度として重要な意義を有するが故に導入するものである」からという。

 重要な意義とはどのような意義なのかの直接の言及はない。文脈からすれば、司法への国民の主体的参加を得て、司法の国民的基盤をより強固なものとして確立するという意義を有することではないかと思われる。

 意見書はさらに、一般の国民が裁判の過程に参加し、裁判内容に国民の健全な社会常識がより反映されるようになることによって、国民の司法に対する理解・支持が深まり、司法はより強固な国民的基盤を得ることができるようになると敷衍する。

 司法審ではこの結論に至る過程で若干議論をした形跡がうかがわれ、その議論の傾向としては、当初選択権を認めるものが多かったけれども、最終的には井上委員が第51回審議会において「訴訟手続への新たな参加制度骨子(案)」というたたき台の説明を担当し、その中で「司法への参加ということは被告人のためというよりは国民一般にとり、あるいは裁判制度として意義のあることだから導入するのだとしますと、訴訟の一方当事者である被告人に裁判員の参加した裁判体による裁判を受けることを辞退し、裁判官のみによる裁判を選択させるということは認めるべきではないということになるのではないか。これらの点も、皆さんの大方のご意見であったように思われるわけです」と説明し、委員の賛同を得た形になっている。

 ただし、藤田耕三委員は「私は個人的には、選択権があれば合憲性はクリアーできるんじゃないかというふうに考えていたんですが、選択権は認めないということでおおよその合意ができたということになりました。しかし、これも制度設計のときにもう一遍考えてみてもいいんじゃないか」との意見を述べている。

 その井上委員の説明の文言が、前述の司法審最終意見の表現に殆どそのまま採用されるに至った。しかし、裁判員制度そのものの憲法問題の議論、それも司法審構成委員13名中法律の専門家は委員長を含めて7人ということもあってか殆ど深まらず、ましてこの選択権については憲法問題として論じられることは全くなかった。

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