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   〈「不安」を感じない方が異常〉

 

○その辞退承認基準の制度に与える影響
 裁判員の精神的負担の恐れによって事態を柔軟に認める運用が仮に常態化した場合、裁判員選任の実態にいかなる影響を及ぼすであろうか。
 最高裁判所が2005年10月に発行した「裁判員制度」というブックレット13頁に、質問者が当時の大谷直人最高裁刑事局長(現最高裁事務総長)に「人を裁くこと」の不安を訴えている部分がある。これに対する大谷氏の回答は、「裁く」ことを哲学的に考えすぎてしまっている、裁判員は1人で「裁く」のではない、チーム一丸となって一緒に裁判をしていくわけです、と答えている。いわば皆で渡れば怖くないということである。

 この大谷氏の発言は、人を裁くことの人間としての重大性、人間としての心構えを捨て去った驚くべき発言である。前記の東京地裁の申合わせ中、「判決宣言後の配慮」において、「結論は裁判員と裁判官の全員で十分な意見交換を行いながら議論を尽くして出したものであり、裁判員が一人で全ての責任を負うものではないこと」を伝えることが考えられるとある部分は、この大谷氏の説明に重なるところがある。

 しかし、まず、合議体の裁判官は単独裁判官よりも結論を出すについて責任感は軽くても良いと言えるであろうか。裁判員は素人ではあるが、裁判官と同じ職務を司る。制度としてはその説明のとおりであろうが、その心構えとしては、哲学的であるか否かはさておき、常に自分が一人で裁くという心構えで裁判に臨むことが求められていると言えるのではないであろうか。

 その質問者がいうように、裁判員制度一般について、例えば裁くこと自体の不安、極刑を言い渡すことの不安、被告人と相対することの不安、傍聴人に顔を晒すことの不安、被告人の家族その他の関係者及び被害者との関係での不安等、数え上げたらきりがない不安が想定される。何しろ裁判員となることは未体験ゾーンへの侵入行為、いわば今まで潜ったことのない真っ暗な洞窟に入ろうとする行為にも似たことであれば、冒険家や好奇心旺盛な人ならいざ知らず、不安を感じないのがむしろ異常である。

 

 〈一言ですべて辞退事由〉

 

 今回の申合わせでは、選任手続以前の配慮として、質問票への候補者の回答に、精神的不安を訴えたり、その兆候が見られたりする者がいる場合には、追加の事情聴取や個別質問での聴取事項等を検討する旨のことが記されているけれども、いかなる聴取事項にいかなる回答がなされた場合に辞退を認めることになるのかは分からない。あくまで不安だと言われればそれを否定する術は裁判所にはないであろうから、その場合、裁判所はどう対応するかということになる。最高裁判所大法廷判決の立場からは参政権同様の裁判員参加権の放棄であり、これに対する柔軟な対応という運用方針からすれば、それでは出頭は不要ですという対応にならざるを得ないであろう。

 また、選任手続における配慮として、不安のある裁判員には個別質問の機会に不安内容を具体的に聴取し、裁判員の精神的負担への配慮を丁寧に説明した上で、参加への支障があるかどうかを確認して辞退の拒否を検討するとあるが、前記の選任手続以前の配慮に関しても述べたが、裁判員の参加義務の法的性質が実は参政権同様の権利であるという解釈であれば、さらにその不安の申し出に柔軟に対応することが取扱いの基本であれば、いくら具体的に事情を聴取したところで、不安だとの理由で事態を申し出られれば、あとで具合が悪くなったら何とかするから心配ないと説明したところで辞退を拒否するわけにはいかないことは見え透いたことである。

 つまり、申し出られた不安がいかなるものであっても、本人が「不安だ」「辞退する」「出頭しない」と言えば手の施しようはないというのが、この申合わせ内容から抽出される結論である。

 それ故、今回の申合わせは、裁判員となることが不安だと一言言えば全て辞退事由となり得ることにつながる。その先は、正当な事由のない不出頭者に対し10万円以下の過料を科すとの裁判員法の規定の本来の目的である国民に対する強力なプレッシャー機能は喪失する。



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