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〈「義務」「強制」への言及なし〉

 本来は判断不要であったとは言え、最高裁大法廷が全員一致で裁判員の職務に関して憲法判断を下したことの重みは決して軽くはない。現にその後の最高裁判決は、本判決を引用し、全て合憲判断をしている(平成23年(あ)1081号一小、平成23年(あ)960号三小等)。それでは、この判決の存在意義をどのように理解したらよいであろうか。

 私は、先に掲記した本判決批判中で、参政権と同様の権限を付与するものとの判示は荒唐無稽な判示であると評した(司法ウォッチ2012年7月、西野教授は「殆ど詭弁の世界ではないか」と評している(前掲p93))。しかし、この最高裁判決を良く検討して見れば、その判示には単なる荒唐無稽と評するばかりでは済まされない別の顔が見える。

 裁判員の職務が憲法18条の「苦役ということは必ずしも適切ではない」との判示について、私は先の論稿で「裁判は裁く者にとっても裁かれる者にとっても本来は苦役の場である」と述べた。後述の国民の意識調査で裁判員となることに消極的或いは拒否的意向を示している者が約85%に達していること、裁判員を経験した者の感想として、良い経験だったと述べる者もいる反面、その職務の苦痛を訴える者も数多くいることが新聞報道等からも知ることができること、最近では2013年3月14日福島地裁郡山支部で死刑判決言渡しのあった事件に参加した裁判員の深刻な心理的負担の告白の報道もあることからして(河北新報2013年3月15日)、私の述べたことは紛れもない事実である。

 裁判員の職務が苦役か否かという上告理由は、また、その職務が過料という罰則の制裁によって強制される、つまり国民の義務とされることについてそのような義務を課すことが許されるかという問題提起をも含むものであるのに、最高裁はその点にも全く言及せず、ただ、裁判員の基本的人権を侵害するところも見当たらないというべきと結論付けている。

 最高裁が苦役には当たらないと判示するその理由部分の原文を目を皿のようにして見ても、そのどこにも裁判員の「義務」、裁判員に対する「強制」という言葉は見当たらない。目を惹くのは「参政権」「権限」という言葉だけである。

 〈本質的問題からの逃避〉

 裁判員としての不出頭等に過料の制裁を課すこととされているのに、それが参政権と同様の権限を付与するものとの判示批判は前記のとおりであり、繰り返さない。辞退に関し柔軟な制度であるとの判示については、問題の本質は、辞退事由には該当しない、要するに柔軟対応のできない人に対して、制裁を加えてまで出頭を迫り、裁判員の職務に就かせることが意に反する苦役に当たるか否かということであるから、その判示は全く理由にも回答にもなっていない。また、旅費日当の支給が何故苦役にならないことに関係するのだろうか。いささかでも慰謝料的役目を果たし、精神的負担を軽くしているからとでも言おうとしているのであろうか。

 全ての理由は悉く曖昧不透明であって理由にはなっていないと言わざるを得ない。つまり、違憲ではないから違憲ではないと言っているのと同じである。

 最高裁が、憲法18条の意に反する苦役とは何か、裁判という国家の行為そのものが苦役に当たるものか否かという本質的な問題に対し、面と向かって論ずることをしなかった、つまり逃げたのは、仮にそれをまともに論ずれば、裁判員の職務が苦役そのものであることを認めざるを得なくなることがわかっていたからであろうと思われる。

 最高裁は、裁判員がその職務遂行によって心のケアを要する場面の生ずることを予め想定し、そのための対策を講じている(裁判員メンタルヘルスサポート窓口の設置、但し民間委託)。それは、その職務が苦役であることを承知していたことを証している。つまり、最高裁はその判示に説得力がないことを承知の上で敢えて判示したという、裁判所としては絶対に見せてはいけない顔がうかがわれるのである。



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