司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

〈裁判員裁判の公平・適正性担保が理由になるか〉

 次に、仮に裁判員裁判が公平性、適正性が担保されている制度であるとしても、そのような理由のみで、前述のように最高裁自らが裁判官をして裁判の基本的担い手であると認めている裁判官のみの裁判を特定の犯罪類型の被告人に対してのみ受けさせない合理的理由となり得るかという問題がある。

 前述のように、憲法が規定している裁判所は、被告人及び国民に対し、責任の所在を明確にし得る裁判官による裁判所である。被告人はかかる裁判所の裁判を受ける権利があるというのが憲法32条の趣旨である。裁判員裁判は、その憲法の定める裁判官による裁判のほかに、さらに、一つの異形ではあるが最高裁大法廷の「合憲の」裁判形式として持ち込まれたということである。

 現在の裁判官による裁判も、公平性、適正性が制度として担保されたものであることは明らかである。裁判員裁判が公平性、適正性が担保されているからという理由だけで裁判官裁判を排除する理由にはならない。

 国家がその異なる2つの、いずれも公平性、適正性を担保しているとされる裁判形式を予定している場合に、伝統的な、憲法が予定し、現に殆どの裁判で採用されている裁判官裁判を排除させ得るためには、さらに説得力ある理由が必要である。

 〈憲法が保障している被告人の選択権〉

 憲法32条は「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と定める。二小判決の合憲判断理由は、裁判員裁判は公平性、適正性が担保されているから、被告人にその裁判形式の裁判を受けさせさえすれば、国家として被告人に対しその権利を与えたということなのであろうが、最高裁が裁判の基本的担い手と認める裁判官のみによる裁判も公平性、適正性が担保されている裁判形式であることは前述のとおりである。

 憲法32条、37条は、改めて言うまでもなく、被告人の義務を定めるものではなく、権利を保障するものである。歴史的に、現実的に、基本的に裁判の担い手である者による裁判形式が裁判の殆ど全てである状況下で、他に素人の参加する裁判形式が定められた場合に、被告人がそのいずれの裁判形式を選択し、排除するかを決定する権利は、憲法32条、37条によって被告人に保障されたものと解されるべきである。

 憲法のその規定はこのようの場合にこそ、その存在価値を発揮するとさえ考えられる。それ故、その裁判官裁判を被告人が受けることを希望した場合には、その憲法の規定上それを拒否することは許されないというべきである。



スポンサーリンク


関連記事

New Topics

投稿数1,195 コメント数410
▼弁護士観察日記 更新中▼

法曹界ウォッチャーがつづる弁護士との付き合い方から、その生態、弁護士・会の裏話


ページ上部に