司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 最近は、司法書士の顔も、法務局職員の顔も全く見たくなくなった。会いたくもない。司法書士であることが人間として恥ずかしくなった。仕事はしているが、業界の知識や情報は全く役にたたないし、司法書士制度というものが、今や、多数となった食えない司法書士にとって、その漠然とした崩壊とまで言わないが、日々衰弱の運命をたどっていることの実感をもつ司法書士にとり、登記教、司法書士教の宗教団体、幻想の共同体となっているのだ。

 

 登記事務は、いかに法務局がその導入をサボタージュしても、今や金融機関の、パソコンの画面を見つつの決済の姿をみれば、インターネット化はこれ以上は逃げられない。決済の仲介者であった司法書士は確実に不要となる。このことが、20年前には、十分予想されたからこそ、認定司法書士制度が導入されたのだが、司法書士はそれを生かせなかった。

 

 結局、100時間で弁論能力を身に着けられなかった司法書士は、今や、訴訟を恐れる債務整理の談合屋と化し、サラ金と一緒になって委任された債務者の間に入っては、サラ金の連絡係となり、低額談合で自らの収入を図るようになった。結果的には、今や国民の敵となっているのだ。一方、成年後見は、無能力者の代理人となり、抵抗も意思表示も意のままにならない無能力者の財産を横領するという、財産犯として、最も悪質な犯罪を犯して平然としているという転落ぶりである。

 

 今や未登記の不動産、所有者不明の不動産の面積が九州地方全域と同じような規模となり、各所で都市計画、再開発の障害となっているという。1980年代、1990年代、登記で、私たちが稼ぎまくった東京郊外のラビットハウスが、今や空き家になりつつあるという。敗戦後、首相となった東久邇宮稔彦が「1億総懺悔」などという言葉をはいて、焼け跡の軍国の母や軍国少年はその言葉に感涙にむせんだが、今、また、「1億総懺悔」の時を迎えつつあるのかもしれない。馬鹿な国家主義と軍国市議の下で三八銃を背負い、戦争を戦いながら、我々の親たちは気の毒だったが、それでも戦後、家族を一生懸命育てた。その子供たちである焼け跡人、戦後72歳人は、家族の再生産を拒否した。何故か。

 

 5、6年前、作家大下氏の銀座のサロンで会った、NHKの記者が、安倍総理が無能だというものだから、いや、安倍総理は平均的国民の知識頭脳を持っていて、つまり知能偏差値で言えば50からせいぜい60の人だから、その行動を見ていればそれが良くわかるではないかと私は言った。だから君のように知能偏差値70からみれば、安倍内閣への支持率が高いのが不思議に見えるだろうが、安倍氏自身が普通の人であるのだから、普通の日本人の心や、物語り、見栄や、感情、不寛容、数字に弱い、科学に弱い、英語に弱い、機械に弱い、感情過多と中国コンプレックス、白人劣等感といった大衆感情が彼には良くわかるのだ。

 

 男女9人殺しの怪物が、宮崎、宅間、障害者施設大量殺人事件以来、再び登場して、今は、誰もその親の顔が見たくなっているだろう。というより、どのような環境がそのような化け物を生んだのか。それが気になっているだろう。戦後72年、私は73歳だが、そこで今失われているもの、それは教養だ。司法書士に最も欠けているもの、それも教養だ。弁護士増員で弁護士の質が落ちたというが、確かに彼らの準備書面を見ていればその表現力のなさ、言語感覚のなさにあきれる時もあるが、しかし、それでも司法書士よりははるかにましである。司法書士は、作文が書けない。せいぜい他人の論文のパッチワークしか出来ない、書けないのである。



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