司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

■勝瑞豊
司法書士界の論客として知られる筆者が、特異な「日本司法」と、そこにいる人間たちの生態を探ります。
1944年7月13日生まれ。1988年司法書士登録(東京司法書士会)。2003年認定司法書士。東京司法書士会理事、同会綱紀委員などを歴任。現在、同会法律相談員を務める。著書に「『超』済出発–自己破産免責完全ガイド」(東林出版社)など。
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 今、我々が生きつつある終末とは、それを何かと定義すれば、成長経済時代の終わりということだ。実際、その時代は、焼け跡から今日まで69年生きて来た私にとってみれば、実にドラマチックで、モノの豊かさと発展とは何かということを、心底体感させられた時代でもあった。

 今日、格差社会が非難されているが、戦前の時代も、焼け跡時代の格差も、もっとひどいものだった。モノクロ映画時代のその頃を思い出せば、庶民はコロッケを食べながら、美空ひばりの「越後獅子」の歌を聞き、街頭テレビで力道山とルーテーズのプロレスを観戦し、一方では労働争議の赤旗にも元気があった。結局、その頃、庶民は、皆、明るくて希望に満ちていたような気がする。

 今、何故、官僚という言葉が定着してしまったのか不思議だが、当時の高級公務員は、戦前の全体主義への反省もあって謙虚であったし、何よりも国家への奉仕と国家再建への使命感に燃えていた。当時、一番、国のために働いていたのは行政公務員かもしれない。大蔵省に、40歳代で脳溢血により早死にする職員が多かったことは当時良く知られていた。

 ところが高度経済成長を経た1970年代、この科挙制度由来の「官僚」という言葉がマスコミで復活したことに、日本メデイアの卑屈な体質を感じてイヤーな感じを覚えているのは私だけだろうか。

 懐かしき経済成長の時代、希望と自身に満ちた時代は、アメリカも同じだった。それはエルビスプレスリーとマリリンモンローとキャデラックの時代だった。第2次世界大戦で、西側先進諸国はゼロスタートをすることになり、それをアメリカがサポートした。焼け跡の世界は物不足の世界であり、物を作れば何でも売れていったから業者は生産拡充に余念はないし、一方、労働者は首になってもすぐに他の仕事が見つかった。

 大型家電製品と自動車、住宅が戦後先進国の経済成長を1970年代まで引っ張って来た。その大型の需要を満たすために企業は生産力を拡大した。しかし1980年代にはその大型需要が充たされて、生産力が過剰となり、慢性的失業の時代を迎えることになった。これは焼け跡から回復した先進国のどこも同じことになっている。

 アベノミックスが好評のようだが、1年持つかどうか疑問だ。今日に至る20年の日本の長期不況の原因は、構造的な需要不足にあるからだ。今はそこそこに、年収400万円で暮らしていても、10年後20年後の生活に安心も希望も持てなければ、庶民は節約と貯金に励むに決まっている。日常品は100円ショップで済ましてしまうことになる。このような構造的な需要不足、雇用不足、生産力過剰、巨額な財政赤字という状況では、政府日銀がインフレ、円安を先導するだけで問題解決するとは思われない。

 安倍麻生政権の一発勝負、あとは何とかなるだろうということなのか。賢明な日本国民は、そのことを分っているのだ。しかし菅、野田民主党政権で痛い目にあった国民は、今は安倍麻生政権の一発勝負に賭けているのである。

 その結果が、外れようが当たろうが、それは、実際はたいしたことではないだろう。人口構成の変動から見て、20年前のような日本経済の成長は今後あり得ない。しかし、その結果ギリシャ化しても20年前、GDP400兆円の時代にもどれば良いだけのことだろう。車は軽に乗り換えれば良いだけのことで、焼け跡の「今日もコロッケ、明日もコロッケ」という時代にバックすることはない。

 唯、私にはもっと恐れていることがある。第3次大戦、核ミサイルによる最終戦だ。日本人もアメリカ人も北朝鮮という国を軍事的脅威とか、専制国家、貧乏国家ということで馬鹿にしているだろう。しかし、そのことが、日本人、アメリカ人の傲慢と北朝鮮国民への軽視が、最終戦の引き金になりはしないかと恐れている。

 人民広場に何十万と集合した北朝鮮兵士や人民、その熱狂、反米反日感情、それは独裁政権に単に扇動されただけの単純なものではないだろう。日清、朝鮮殖民地化、日露、太平洋戦争を経験してきた日本人にはそのことが分っても良いはずなのだが。



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