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 「極めて異例の判断ではありますが、敢えて控訴を行わない旨の決定をしました」。元ハンセン病患者の家族への国の責任を認めた熊本地裁判決についての控訴見送りに際した、安倍晋三首相の談話の冒頭の下りは、こうした一文で締め括られている。「極めて異例」「敢えて」という断り書きには、今回の場合、単に事実を伝えている、という以上のニュアンスを読み取ってしまう国民は、少なくなかったのではなかろうか。

 判決には国としては到底納得できない、「重大な法律上の問題点」があるが、「幾多の苦痛と苦難を経験された家族の方々の御労苦をこれ以上長引かせるわけには」いかない。つまり、要は人道的見地に立った政治決断をしたという宣言である。

 談話では政府としてのお詫びの言葉が出てくるが、一方で前記納得していない「重大な法律上の問題点」について、反論として発表した政府声明のなかで、厚生、法務、文部各大臣の責任、国会議員の責任に関する判断を、「受け入れることができません」「認めることができません」と繰り返し否定する文面を目にすると、首相はこの件で、どの点に責任を認めて詫びているのかを問いたくなる。

 現実的には、このちぐはぐさには、別の見方が張り付けられている。既に多くのメディアが、「政治決断」の意図を現在真っ只中の参院選と結び付けて、実際に官邸周辺の関係者に、否定されることが分かり切ったうえでの取材を試みている。もちろん、いかに参院選を意識したものであったとしても、この決断は重い意味を持ち、元患者関係者には歓迎すべきものだろうし、結果につながる「政治決断」の価値は認めなければならない。

 しかし、この結果から政府の動機付けを全く問わないということであれば、それはどういうことになるのだろうか。安倍首相としては、もし、選挙への効果を考えれば、法律上納得しないもの、争えるものを、単に「温情」として拳を下ろした、ということが伝わるだけでも、あるいは目的を達成したことになっているのかもしれない。

 各紙とも、政府内には当初、控訴すべし論が強かったことを伝えている。高裁の判断までは仰ぐというのが、国の責任が問われる訴訟では既定路線、さらに別の患者家族訴訟が最高裁で係属中という事情もあった。こうしたなかで、朝日新聞はいち早く「政府、控訴方針」の報じ、今回の結果に、取材不足を認め、本紙で謝罪記事を掲載する事態となった(7月10日付け朝刊)。安倍首相の政治判断にかかっていたが、それでも控訴はあり得ない(ととれる)、というのが、当時の状況だった、ということが、むしろ朝日の謝罪のなかでの弁明からも読みとれる。

 朝日は、参院選との関係を他紙ほど言及していない印象だが、謝罪記事と同じ紙面で興味深いエピソードに読者に思い出させている。2001年にハンセン病患者への隔離政策をめぐり国が敗訴した訴訟で、当時の小泉純一郎首相が、やはり政府内の反対の中で控訴しないことを決断。元患者と直接面会し、のちに元患者に補償金を支払う「ハンセン病補償法」成立へとつながる。

 当時の官房長官は、安倍現首相だった。小泉元首相の控訴断念決断直後の朝日の世論調査では内閣支持率が過去最高84%を記録している。「安倍首相はこの『成功体験』を目の当たりにしている」(朝日)。取り方によっては、朝日も参院選との関係を、首相の決断の動機付けとして伝えているといえる。

 繰り返すが、控訴断念自体には、安倍首相の「決断」の意図とは関係なく評価できるところはあるし、そもそも政治決断とはこういうものである、という人もいるだろう。ただ、それでは片付けられないのは、他の訴訟への対応も含めて、賠償をめぐる多くの問題が積み残されているからだ。

 安倍首相は談話の中で、「確定判決に基づく賠償を速やかに履行するとともに、訴訟への参加・不参加を問わず、家族を対象とした新たな補償の措置を講ずることとし、新たな補償の措置を講ずる」としている。しかし、「重大な法律上の問題点」を指摘する政府声明のなかでは、消滅時効の起算点の判断にも異を唱えている。

 今回の首相の「政治決断」が、参院選をにらんだ温情アピールという、いわば単なる人気とりのイメージ戦略の効果をにらんだものであるならば、審判後のことをどこまで当てにできるのか、信じるべきなのかということになる。いや、国民の審判を前にした今から、むしろ私たちは、ここにこそ警戒感を持った厳しい目を持つべきではないだろうか。「極めて異例」「敢えて」を手柄に加点したい首相の意図を超えられるかは、むしろ私たちの問題である。



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