司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 安保法案をめぐり、安倍晋三首相が口にする「国民の理解が進んでいない」という認識や、その国民の理解に向って「丁寧に説明する」という言い方に、傲慢なもの感じている国民は少なくないだろう。本来、姿勢として肯定的にとらえられてもいいはずの、こうした認識や表現がそう伝わらないのは、いうまでもないことだが、もはやこの法案とそれを押し通そうとする安倍政権側の置かれている状況がそれを許さなくなっているというしかない。別の言い方をすれば、すべて底がみえてしまっているからなのだ。

 

 端的いえば、もはやこの法案をめぐる状況は、国民に受け入れられない原因を、国民の「理解不足」に転嫁しているととれる段階に入っている。おそらくある一定の段階までは、理解しようと思っている国民に受け入れられても、説明されても理解できない段階に入れば別である。

 

 衆院憲法審査会で安保法案を「違憲」と断じた長谷部恭男・早稲田大学教授は、その後に出演したニュース番組(7月15日、TBS「NEWS23」)でも、新聞紙上(7月19付け朝日新聞朝刊「考論」)でも、政権サイドの「国民の理解が進んでいない」という論調に対し、むしろ国民の理解は進んでいるから、反対の声が強まっているという認識を示している。

 

 有り体にいえば、国民の多くは、少なくとも政権の説明ではこの法案は説明しきれない、国民を納得させられない欠陥が内在していることは、理解し始めた。そこでいわれる「理解不足」「丁寧に説明する」は、あくまでその内在的な欠陥を認めないという立場の表明になる。彼らが、この法案を押し通そうとすれば、延々とこの論調を繰り返せばいい。しかし逆に、これを延々と言い募ることは、彼らが国民を無視している証にもなる。

 

 安倍首相が、この無理を理解していないとは思えない。ただ、最大の問題は、これを押し通せる、あるいは押し通してよい無理と理解していることではないだろうか。

 

 「断言首相」

 

 7月31日の「朝日」朝刊のトップ記事には、こんな大きな横見出しが躍った。集団的自衛権の行使によって戦争に巻き込まれることや、将来の徴兵制導入に関する国会での質問に、安倍首相が「絶対にない」「断じてない」といった断定調の表現を増やしているというのである。その理由を、同紙は法案への国民の理解が深まっていないことへの危機感の表れとしている。断言するということは、形として彼が責任を負うようにみせた「保証」の提示だ。理解させられる理屈抜きの太鼓判に説得力があるとは到底いえない。しかし、追いつめられていることを自覚しているとはいえ、彼はそれが許されると思っているのだ。前記「理解されなくても押し通せる」という彼の「理解」は一貫しているようにみえる。

 

 問題をあえて単純化すれば、もはや国民の代表としての国民への向き合い方、その謙虚さの問題に尽きてしまうとみることができるのではないだろうか。国民の理解に至らない原因を、法案の内在的な問題とみることもさることながら、この世論状況そのものが、このまま採決に至っていいレベルではないということ、そのこと自体がこの議論で判明したこと。国民の代表として、そのことに謙虚に向き合えれば、廃案という選択肢しかないのではないか。

 

 多くの与党政治家は、そのことを自覚すべきだ。当落の問題ではなく、問われているのは、民主国家の国民代表のレベル、質そのものなのだ。どういう世論状況でも「押し通してみせる」「押し通してみせた」ということに、なにやらヒロイズムを見ているのではないか、と疑いたくなる首相の姿勢に付き合う必要はない。



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