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 10月27日に行われた参院埼玉選挙区の補欠選挙の投票率が、戦後参院選の補選で4番目に低い20.81%であったことを、同月29日付け朝日新聞の社説が、危機感をもって取り上げた。タイトルは「『8割棄権』の深刻さ」。

 記事も触れている通り、夏の参院選の同区の投票率は46.48%であり、補選の投票率が下がるといっても、25ポイントの減少である。いくら補選での傾向があるといっても、5人に1人しか投票行動に及ばずに出された結果は、確かに果たして民意の正当な反映と評価できるのか疑問である。

 ただ、それをいうのであれば、通常選挙での低投票率はどうであろうか。朝日も言及する通り、今年夏の参院選も48.80%と5割を下回り、衆院選も、安倍政権が政権復帰を決めた2012年以降の3回連続して6割を切っている。民意の反映の正当性を選挙に求めるのであれば、そもそもこの国の選挙結果は深刻なのである。

 低投票率を「代議制民主主義の土台を切り崩す深刻な事態」と朝日は表現しているが、その意味では、深刻な事態は常態化しているというのがせ正しく、むしろ国民はこの低投票率の異常さに慣れてきているのではないだろうか。

 朝日の社説の、今回の参院埼玉補選の結果分析で一番違和感を覚えたのは、この深刻さに対して、朝日が最も訴えているのが、有権者への選択肢という点にあることだ。

 「主要政党が軒並み独自候補を立てず、知事を4期務め、抜群の知名度を誇る上田氏に事実上相乗りするような構図となったことが、有権者の選択肢を狭めたことは間違いない」

 「投票しやすくする制度の改善も検討すべきだろうが、まずは、政党が有権者に選択肢を示す責任を果たさなければならない」

 現象をとらえれば、朝日のような今回の選挙の構図でなければ、有権者の投票行動は今回と違っていたかもしれないし、政党が選択肢を示すことが悪いわけもない。しかし、これがこの前記深刻さの前に、朝日が今、最も強調すべきポイントだろうか。

 既存の政党が、とってつけたように、他候補と違う主張を選択肢と掲げた選挙になれば、本当に今回の選挙を含め、低投票率は改善する、あるいはこれが根本的な解決策になるというのだろうか。無党派層の既存政党への不信、無関心の現実を考えても、それが少なくとも常態化する前記低投票率の異常さを根本的に解消に向かわせるようには思えない。候補者が林立し選択肢が増えれば、有権者の選択の幅が増えることで、その裾野も広がるというのは、正攻法かもしれないが、やや安直にすらとれるのである。

 問題は、前記したように低投票率への問題意識、あるいは危機感の低さそのものにあるのではないか、有り体にいえば、朝日が叫ぶほど、この事態を多くの国民が深刻と受けとめているのかどうかである。そもそも投票行動に及ばない有権者の意識が、「誰に投票しても同じ」「どうせ何も変わらない」というものであるならば、低投票率も選択肢のなさも「深刻」とは思えない。

 その意味では、「選択肢さえあれば」「悪いのは選択肢を示さない既存政党」というのは、一理あっても、やや投票行動に及ばない有権者の自覚という点では、優し過ぎる主張のようにとれる。それをいうならば、何もしないことで、つまり一部有権者の投票行動で決する選択で、何が良かったのかということ、それが政治的にどういう主張や政策を掲げる側を利することになったのか、を何度も訴えることの方に意味があるのではないか。

 「選択肢があればいく」の前に、「関わっても変わらないどころか、かかわらなければどんどん悪くなる」という危機感が、決定的に足りないのではないか。その意味で、残念ながら、朝日の結論は、それを覚醒させることなく、その手前で別の解決策を期待してしまっている。

 選択肢が提示されなければ、確かに選びようがない。しかし、有権者に危機感や緊張感がなければ、政党も動かない。かつてある憲法学者は、選択肢がない場合でも、有権者は棄権せず、投票所に足を運び、白票・無効票を投じることで政治意識を示すべきと語った。その理由は、棄権では、単に面倒だったり、政治的無関心から投票行動に及ばない票と区別がつかないからだ、と。

 だが、日本のメディアでの取り上げ方は、投票率ばかりに注目し、無効票・白票の意味に注目していないし、有権者もそうした示威行動に及んでいない。その憲法学者が言った状況からすれば、現状は国民の意識も社会の取り上げ方もずっと手前である。

 選挙になると、メディアはとにかく投票所に足を運べ、自らの一票を無駄にするな、完全に一致する主張がなくても、ベターな(どれかといえばこの人というような)候補者を選べ、ということばかり強調する。正しい面があったとしても、これはこの低投票行動の状態化に有効だっただろうか。そもそもどれもダメ、結局同じ方向しか向いていないとしか取れない候補者の、いずれかを選べという無理をさせる選挙もまた、前記投票を回避したくなる有権者の感情につながっていないだろうか。 

 有権者のなかにも、「選ばれる側」にも、緊張感が生まれなければ、この根本的な異常状態は変わらないだろう。この緊張感がなければ、本当に有権者が投票所に足を運びたくなるような、選択肢が提示されることも期待できない。本当のわが国の「深刻さ」はそこにあるといっていい。そこから現状を考えるときに来ているように思えてならない。 



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