裁判IT化が、迫ってきている。システム構築の遅れも指摘される中、最高裁では、来年5月の民事裁判の全面IT化の方針を現在のところ崩していない。司法に対する決して高いとはいえない関心度からして、社会全体の目がこの現実にどこまで向けられているのかは評価しにくい面はあるが、法曹界内では、日増しに取りざたされることが増えてきている観がある。
利便性への期待感を正面から表明する弁護士たちももちろんいる。彼らの中には、「遅すぎた」という声もある。しかし、その一方で、強い懸念論があるのは事実だ。大きく括ってしまえば、前記期待論が既に日常業務の中で、IT技術を使いこなし、あるいは習熟している人たちであれば、後者の不安は、その逆の人たちである、という当たり前すぎる括りもできてしまう。
12月27日付朝日新聞朝刊は、最高裁が民間に委託して開発中の新システム「Trees(ツリーズ)」の開発の遅れをめぐる、利用する弁護士側に広がる懸念論を取り上げている。開発が遅れるような複雑なシステムの必要性そのものへの疑問もあるが、弁護士側の習熟という問題がある。
新システム構築の遅れに対し、最高裁は既存システムの改修で対応するとの方向だが、そもそもその操作に慣れるための時間が十分とれるのかという不安である。当然、その先には予期せぬトラブルが想定され、前記記事で出てきているように、ひいては「国民の裁判を受ける権利」に関わってくるという見方にもなる。
紙でしかできなかった訴状などについてのオンライン提出の義務化は、弁護士の中の「期待論」と懸念論を分ける分水嶺といえるかもしれない。そうだとして、導入ありきで考えれば、習熟に要する時間をどれだけとれるのかカギになるし、報道によれば、利用説明会など最高裁も対策を考えているようではある。
ただ、もう一つ、弁護士側が抱えることになる事情として気になることは、またもや「淘汰」ということが言われ出していることだ。IT化はこれまで物理的な距離や手作業事務で守られてきた「壁」を壊し、弁護士の淘汰・再編を加速させるのではないか、という見方である。
前記した習熟度の格差に加え、長い目で見た時、PC環境やセキュリティ対策、スタッフ教育にかかるIT投資や、旧来からとられてきた裁判所の近くに事務所を構える、「門前町型」ともいわれるスタイルの価値化など、新たな環境変化への対応が迫られるということでもあるのだ。スキル不足とコスト競争力、さらには高齢者の引退促進まで淘汰・再編への現象が予測されてしまう。
さらにいえば、前記習熟度による実害だけでなく、その淘汰が市民のために良いことずくめなのかを不安視する見方もある。前記した条件を満たす、いわば使いこなせる弁護士たちが、高単価のビジネス案件に集中し、身近なトラブルを引き受ける、いわゆる「街(町)弁」がますます生きづらく、そして減るのではないか、という見方まで出ているのである。
このながれはまたぞろ、弁護士の意識や価値観を変えるものになるのかもしれない。「効率化」は当然時間的なメリットを与えるものだが、対話、対面などに時間を割けるという発想に立つのか、それとも「効率化」と採算性、収益化により目を奪われる流れになるのか、というあたりも、利用者市民との関係に関わってくるかもしれない。
より市民目線に立てば、「本人訴訟」とっては、ますますハードルが高くなる懸念も聞かれる。だが、それもさることながら、市民による弁護士の選択に際しても、事務所体制の「IT化」度や表面的な利便性の裏で、その時間的メリットを本当に依頼者のために使っててる弁護士であるのかの見極めも必要になる。
弁護士の広告解禁や「司法改革」がもたらした弁護士のビジネス化に対し、一方で「宣伝や影響が上手い弁護士が市民にとって有難いとは限らない」といった警鐘を鳴らす言説が聞かれたが、今回の流れにも、それと同様のものを感じざるを得ないのである。