司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 行政機関が実施する「パブリックコメント(意見公募、パブコメ)」への不信感、あるいは失望感は、少しずつ社会に広がってきているのではないか、と思う。実施される度に、意見が「反映されない」という不満が出る制度。つまりは、既定方針に対して、行政が申し訳のごとく実施する制度ではないか、という、形式主義に対する不信が強く出される制度となりつつある、ということてある。

 

 奇しくも9月11日付け朝日新聞朝刊には、全く異なる2つの案件について、この現実を映し出す記事が掲載されている。一つは、九州電力川内原発(鹿児島県)の再稼働をめぐる、原子力規制委員会の審査書案に対するもの(同委員会HP)。「原発パブコメ『形だけか』」という見出しで、避難計画の意見に対する同委員会の対応への不満などが報じられている(1、37面)。

 

 もう一つは、特定秘密保護法の運用基準についてのもの。10日に発表された「ハブリックコメントを反映した修正案」の中身が、表面的な修正にとどまり、抜本的な修正を求める意見は聞き入れられなかった、としている。田島泰彦・上智大教授のコメントでも、「パブリックコメントは、国民の声を一応聞きましたというアリバイ作りだと疑わざるを得ない」という指摘がなされている。

 

 ただ、少なくともわれわれは、このパブコメの不信感と失望感を生んでいる現実に対して、当然、施行者が用意するだろう見解をまず、踏まえておかなければならない。大きくくくれば、それは2点ある。一つは、パブコメ自体の基本的な性格にかかわること。民主主義的な国民の参加形態とはされていても、パブコメは、多数決原理ではなく、多様性尊重に基づくものという説明だ。パブコメ「コピペ」問題でも、散々指摘されているが、同一意見をいくら大量に送っても、カウントは1。その意味で「署名」とは違う、「数」でアピールするのであれば、むしろ「署名」運動で対応すべき、という意見も出される。

 

 そして、この点に立てば、「こんなに沢山の意見が出されているのに」といった見方に基づく、不満の主張の多くが、基本的に跳ね返されるだけではなく、むしろ「コピペ」を含めて、回答者が「数」にものをいわせようとするのは、パブコメ本来の性格を歪め、むしろ形骸化させる、という主張にまでつながっている。

 

 もう一つは、募集範囲にかかわること。つまり、多くの不満、不信の対象としていわれている事柄は、そもそも当該パブコメで問われていない、というものだ。前記原子力規制委員会の案件では、そもそも避難計画や原発の是非などは対象外である。また、特定秘密保護法案に関しては、あくまで「運用基準」。「朝日」の報道では、寄せられた意見の大半が秘密法自体への反対や運用見直しだったというが、「運用の根幹が変わるなんてことはない」という官邸スタッフのコメントとともに、「根幹を見直せば、秘密法自体の意味がなさなくなることをおそれるから」という説明もなされている。

 

 要は、原発にしても、秘密法にしても、その是非を含めた根本的な話は、パブコメで「聞いていない」ということになり、そうだとすれば、そこにかかわる「反映されない」という不信も失望も、いわば「お門違い」という扱いになるのもまた筋ということになる。

 

 ただ、話はここで終わるのだろうか。むしろ、終わらしていいのだろうか。最も肝心なことは、「コピペ」はともかく、なぜ、これほどの「数」の、しかも根本的な制度の改廃にかかわる意見が、噴出しているのか、その現実である。いかにパブコメの本来の趣旨や、施行者が求めたものが前記したようなものであっても、では、なぜ、この国民に与えられたこの「機会」が、こうした結果を生んだのか、そこは本当に素通りできる話かどうか。端的にいえば、これは根本的議論の不完全さ、国民の理解不足の証明であるとるべきではないか。パブコメの対象から外された「根幹」の決定が、いかに議会の多数決定でなされていても、社会に了解されていないという決定的な事実を、この結果が示している、そのことは、どうするのかという疑問である。

 

 もちろん、前記官邸スタッフの言をみるまでもなく、議論の蒸し返しはない、ということで、施行者が押し通すのは必定だろう。ただ、いうまでもなく、あくまで意見募集の対象は施行者次第。数にしても、当然、マスコミはその範囲にかかわらず、多くの意見があれば、その傾向を社会に伝える。施行者の世論に対する対応は、すべてパブコメに対する「お門違い」では片づけられないだろう。彼らには、この結果を前に説明責任を果たし、あるいは法律や制度施行を延期してでも再度議論を尽くすという選択肢が本来はある。それを無視するのであれば、多数でなく、多様性という理屈も、果たして説得力を持つのだろうか。問題は、そこにある。

 

 「反映されない」ことも既定方針に含まれていたのではないかと、制度が実施される度に国民が感じてしまう事態は、パブコメという制度の立案者のなかで、どこまで織り込み済みだったのだろうか。この制度の法制化が、2005年の行政手続法改正までなされなかった事実を、わが国民主主義の成熟度の遅れとして指摘する向きもある。ただ、この制度形骸化に対する懸念以前に、この国の民主主義が形骸化している事実そのものが、パブコメの回答として顕在化している事実を無視していいのかという気がしてならない。



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