法廷で検事の所から、車椅子に座って待つ父親へ戻りながら、先程から気になる視線が、次第に強く感じてきた。見渡すと、どうやら被告人の家族と親戚らしき一団が、こちらにぞろぞろと歩いてくる。我々の前にくるやいなや、被告人の母親らしき女性は深々と頭を下げた。表情は硬く、目は赤く濁っているようにもみえた。
正直、こちらとしては、何も話すことはなかった。私は、心の中で、なぜ、「逮捕」された時点で、「謝罪」ができなかったんだと思っていた。「許せない行為」は明白だが、それがはじめにあるかないかでは、心証は違っていただろう。
ふと見ると、父のもとに被告人の女性が行き、軽く頭を下げ、謝罪している。父は、彼女に対し、信用していた介護ヘルパーに、裏切られた悔しさを押し殺すように、小声で「もう、二度とするなよ」とボソッと言っていた。杖を片手で持ちながら、深くため息をつく、車椅子の父親の姿に同情心が湧き起こってきた。父親の背中はやけに小さく見ええ、衰えを感じた。
そんな状況の中、姉たちは、不愉快な場面に遭遇していた。刑事裁判終了後、今回我々の刑事裁判を担当した裁判官とあの女性国選弁護人が談笑していたのだ。女性弁護士の笑いの声が、私の所にも、響いてきていた。別件での会話かもしれいか、姉たちは、不愉快に感じたという。あの場面には、被害者感情を逆なでされた、と。
裁判を担当する法律家として、これは当事者への基本的な配慮の問題だと思う。彼らもあの場では、立場をわきまえた振る舞いをすべきではなかったのか。一般的にこうゆうことはよくあることなのか。この時のことは、被害者家族からすると、鮮明に記憶に残るものとなった。
その場から立ち去ろうとすると、速足で、その国選弁護人が今度は、我々のもとへ駆け寄ってきた。
「すみません、少しお時間を下さい。加害者からお話をしいたいので」。
われわれは首をかしげた。会話、何のことだ。今後のことだろうか。話し合いについては、どのみちするつもりだったので、疲れ切った体に鞭をうち、話し合いのテーブルにつくことにした。ただ、父親には精神的な疲れがあり、負担が大きくなるため席をはずしてもらった。
国選弁護人の誘導のもと、裁判所内にある別室の4、5畳ほどの狭い部屋へと連れていかれた。そこには、四角い白いテーブルがおいてあり、あとは、椅子が8コくらい用意されていた。そこに、我々家族と被告人の両親が対面して座った。
重い空気が場に流れた。はじめのうちは、加害者側は、視線をそらしながら、「申し訳ございません」「すみません」の一点ばりだった。特に、別室まで連れてきた国選弁護人は、その場を仕切るわけでなく、「どうぞ、話して」といった調子で、被告人の女性に話させ、ただ静かに腰かけていた。
当然のことながら、会話は一向に進まないため、こちらから、「謝罪」と「窃盗金額」について具体的に切り込んだ。すると、なぜか、その場にいた国選弁護人は、「当事者同士で話し合って下さい」と言い残し、すっとその場から消え去ってしまった。被告人の母親は、「あれ、先生どこへいくの」といった感じで、戸惑と不安が入りまじった表情になった。どうやら、様子を見る限り、弁護士の先生がいないと会話ができないらしい。そんな印象をこちらに与えた。
今振り返ると、単なる、形式だけでの「謝罪」のみでわざわざ裁判所内の別室にて呼び出す必要はないだろう。我々家族と犯人家族で争わせ、そこで「当事者同士間の決着」を、仕向けられるための「場」づくりと感じた。