私の仕事中、兄から連絡が入った。兄の声は、携帯からもれんばかりの大声、耳が痛くなるほどだった。
「やったぞ。完全勝利だ。自分たちの予想を超えた判決だ」
力強いトーンだった。不安と期待で待っていた、民事裁判第1審判決を受けた第一報だった。私が「その言葉の意味は、完膚なきまでに相手を叩きのめしたということか」と聞き返すと、兄は、「そういうことになる」と即答してきた。
「判決文をさらりと目を通したが、率直に言うと、我々が主張した金額が全額認められ、俺たちの真相究明費用が認められていたんだよ」
兄は、相変わらず興奮ぎみにそう言った。真相究明費用とは、文字通り私たち家族が、この事件を解明するためにカメラを設置してまで取り組んだ費用と、その後の事件を解明する費用のことだ。その点は、ある意味、私たち家族には特別な意味を持っていた。なぜならば、それはいうまでもなく、私たちが独力でつかんだ涙ぐましい成果そのものを象徴するものだったからだ。
そもそもこの事件が降りかかるまで、私たちは真相究明という立場にたたされることなど、思いもよらないことだった。しかし、この介護ヘルパーに父が金銭を奪われた、この事件は当初父のボケを疑われた。決定的な証拠がなければ捜査をしないという警察の態度。被害者がなにもかもお膳立てをしなければ動かない警察の理不尽さを訴えたわれわれに、彼らが提案してきたのがビデオ設置だった。
ビデオカメラ設置には、家族の葛藤もあった。窃盗の証拠と引き換えに、父親のプライバシーをすべて覗くことになる。何で被害者である私たちが、そこまでやらなければいけないのか。家族の間でも、相当話し合わなければならなかった。なぜ、警察がやってくれないのか。しかし、テレビドラマで誘拐事件の被害者宅に、逆探知の機器を持ち込んで、犯人に当たるような警察の姿を想像していたならば、私たちの場合は大違いだった。このままでは何もしてくれない。父のボケで片付けられ、事件そのものがなかったことにされてしまうーー。そういう気持ちに突き動かされたすえでの行動だったのだ。
ここで家族の力で、犯罪の決定的な瞬間を押さえることができたのは、確かにその後の本人訴訟にいたるまでの、私たちの自信のようなものにどこかつながったようには思う。ただ、その半面、それは、この私たちの闘いのなかで、最初に味わった現行制度への落胆であり、壁だったのだ。私たちが素人であり、そしてそれがたとえこの世界の常識であったとしても、理不尽であると思う気持ちには変わらなかった。
たから、この部分を司法がどう認めてくれるのかには、家族として特別な思い入れがあったといっていいかもしれない。
もう一つビデオ以外にも、私たちが認めてもらいたかったことがあった。それは、今までのこの裁判のために費やした時間、通信費、交通費の存在である。わたしたちは、この事件によって、神経がすり減る思いで、膨大な時間を費やしていた。これまで、刑事事件を通じ、この事件担当をしていた警察には、この事件を解明するには、当然裏付けとなる詳細な事実を把握しなければならないと警察に言われた経緯があった。
私たちは、この指摘に対しても、独力で闘う決意をした。まず、父親の生活スタイルを分析からはじまり、父がどのような形で金を使用していたのか、父親のメモ書き、社協から提出させた記録をもとに、調査を開始した。その間、私は田舎に帰り、父親の行動を裏付けるための証拠を集めに没頭し、生活行動を手探っていた。事件前まで、父親が通った弁当屋、花屋、タクシー会社等に、聞き込み調査を再三、繰り返し、当時父親が入手した品物を片手に、レシートを頂きにいったりもした。それらの方々に裁判のことを話すと、煙たがられたりもしたが、この件については、一切、裁判では迷惑はかけないという条件で理解していただいた。
その後も、これらの資料をニューヨークの兄へパソコンでスキャンしたのを送信、それを受信した兄がそれらの資料をみながら、父親の行動パターンを解析する日々が続いた。日本との時差があるため、寝不足になるのを覚悟の上で、夜中にチャットをしながら事件の詳細などについて、語りあった。父が、どのくらいの所持金でどのような生活をしていたのかは、それはとりもなおさず、父のボケや勘違い、あるいは使い込みといった疑惑を晴らし、あるはずのカネが消えて行ったこの事件の姿を浮き彫りにするものとなったのだ。
結論からいえば、これらの費用がすべて、我々の主張費用の満額ではなかったものの、それぞれの担当した兄弟に割り当てて、きちっと認められていたのだった。こういうケースを司法がどう判断し受け止めてくれるかも、私たちにとっては、おおきな挑戦だったと思う。また、金銭の問題でなく、認められたことに心から評価したいと思った。
「真相究明費用が認められるケースって、日本であるか?海外とかではあるみたいだが、なかなかないじゃなかったっけ。最初の弁護士もこの場合、難しいと話していいたよな?これは、画期的な判決じゃないのか」
確かにそうだと、最初の裁判官が言っていた、ある言葉を思い出してきた。それは、前任の裁判官が、S弁護士と私たちに、まるで喧嘩ごしでくってかかってきたエピソードだった。