刑事裁判は、物静かに終結し、幕を下ろした。素人目をから見て、明らかに納得し難い内容だった。裁判が終わるやいなや、私と兄は、傍聴席からすばやく立ち上がり、木造フェンス越しを跨いで、検事のもとへ行き、兄は声をかけた。
「すみません、あの、ちょっと、待って下さい、ほんの少し時間を下さい。この裁判の件で話があります」
少々声が大きかったのか、その場を立ち去ろうとした裁判官、書記官もこちらをチラっと見た。私と兄は、まず、なぜ、矢吹検事は不在なのかについて尋ねた。検事は目を丸くし、びっくりした様子で答えた。
「今日は、彼は、別の事件で他の裁判があるため、いないんですよ。だから私が代理に来ただけで・・・・」
その時、私も兄も、少し興奮気味で、自然と口調も強いものになっていた。
「この刑事裁判内容は納得いかないんですよ」
まるで、体内のアドレナリンがドクドクと、活発化し、体じゅうから、湧き上がるような感じだった。彼も刑事裁判後、まさかこのような質問がくるとは、思わなかったのだろう。刑事裁判の争点は、「窃盗」のみだったが、私たちがこだわっていたのは、ずさんな社会福祉法人の管理体制と対応が、繰り返された犯行の歯止めにならず、被害を拡大させ 被害者を苦しめたことだった。
「頻繁にお金がなくなる」という度重なる相談の報告を受けながらも、調査をはじめなかった、彼らのおごりこそ、検察側に「公の場」で追及してもいたかった。そしてなにより、被告人の余罪は明白に存在し、それを検察も認めていたのに、「15万円」での終結。私たちは、これでは事件の真相が闇に葬られ、一体この事件で何が起き、誰が本当に責任を負うべきかが明らかにされないまま、終わると感じていた。あるいは被告人のみに罪をかぶせるのも、「とかげのしっぽ切り」ではないかと。
一般的に、「窃盗15万円」で終わった裁判と、余罪を追及し公の記録に残った被害額数百万円単位の事件では、社会的な認識と関心も、雲泥の差になる、と私たちは考えていた。刑事事件の射程範囲、あるいは民事事件で追及すべき、という検察官のサジェスションが、この世界で常識で、今回対応がたとえ「よくあるケース」だったとしても、私たちには到底納得でるものではなかったのである。
案の定というべきか、のちにこの結果が、被害者である私たち家族が、本当に盗まれた額を含め、この事件の真実を話しても、世間から信用されず、逆に非難されるはめになる。
矢吹検事の代理で来たという検事は、私たちの質問に、首をかしげながら、「さぁ、この内容に関しては・・・」と、困惑した表情で言葉少なに語るだけだった。私たちは、拉致があかないと感じ、その場を切り上げた。
だが、実は木造フェンスを乗り越えたときから、私は背中に強い視線を感じていた。それは、一般傍聴者とは紛れもなく別の何か重く圧し掛かるような視線だった。