司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 テレビ番組出演確定後、家族間で父親のこと件について話し合った。事件発覚以降、父親の体調は、精神的に参っているせいか、以前より食欲も落ち、血圧も高い日々が続いていたからだ。家族としては、父親への直接インタビューは、遠慮してもらおうということになり、番組制作会社に連絡を入れ、事情を説明し、状況は理解して頂けた。

 その結果、私がインタビュー取材を受ける形になった。父親が出ない分、私が事件に関連する資料を提供し、証拠説明を果たさないといけないという重い責任を感じた。

 一方、地元社会福祉協議会側の対応について尋ねると、「弁護士同席であれば、取材に応じる」との回答が番組制作会社側にきたそうだ。彼らの社会的な立場からすれば、今回の事件のような、彼らの非が明らかな場合、再発防止への意思を示す言葉か、係争中を理由とした「ノーコメント」が、一般的な対応かと予想していただけに、彼らのこの姿勢には少し驚いた。事件発覚から彼らとの直談判までの彼らの対応を思い出すと、協会トップである町長の影が常にちらついているだけに、何をたくらんでいるのか、そのことが不気味にさえ感じられた。

 深読みすれば、弁護士同席対応にこだわるのは、法律的なことを盾に、彼らが責任を免れようとする何か秘策があるのか、とも思われた。また、テレビ番組となると、一般視聴者から、どちらの主張が正論なのか判断されることから、彼らとしても、出鼻をくじかれると、今後の民事裁判に影響が出るとの懸念もあって、相当な警戒心から弁護士同席という形での取材を受けたのかもしれない、とも考えられた。いずれにせよ、これは法廷外だが、取材時に、プロの弁護士がいる以上、こちらも強い警戒心を持たねばならないと感じた。

 相手が弁護士付きの取材対応であるならば、こちらも同じ形で取材に臨んだ方がよいかと思い、S弁護士に一刻も早くこの状況を連絡し、可能であれば同席してもらう形でお願いしたいと考えはじめた。正直、「弁護士同席」ということに、少し動揺し始めた自分がいた。

 明朝、S弁護士の緊急連絡先として聞いていた自宅へ電話を入れた。しかし、S弁護士は、こちらの同席依頼に対し、返ってきた言葉は、マスコミは勘弁してほしいというものだった。私は相手側が弁護士を連れてくることを強調して、なんとかお願いできないかと、頼み込んだが、返ってくる回答は、同じだった。

 S弁護士は、余程、マスコミが嫌いなのだろう、と思った。だが、初めて会った時の、あの勇ましい姿勢から、法廷外でも当然一緒に戦ってくれるだろうと勝手に思い込んでいたこともあって、正直、ショックだった。期待していただけに、内心突き放されたような気にもなった。

 「休みの時に連絡してすみません」と言って、電話を切り、私は肩を落とした。マスコミに出ることを嫌らう人間もいるので、こればかりは仕方ないことだと、自分に言い聞かせた。裁判官の前で堂々としっかり戦ってもらえればいい。それが彼の仕事。と、そう切り返すしかなかった。我が家の案件を引き受けてくれただけでも感謝しないといけなのに、S弁護士の都合も考えずに、図々しいことを持ちかけたのだろうかと反省する気持ちになってきた。

 弁護士が同席するかしないかで、勝手に不利だと決めつけた自分自信にも腹が立ってきた。もう引き返せない、己の気を引き締めて、自分一人でのやり抜くんだ。そう、やるしかない、でなければ、こちらが食われる――。そんな気持ちから、実際にあったこと、見たこと、聞いたことのすべて真実を語る、そのことに尽きると心に決め、取材へ向かうことにした。



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